「撤退」とは、「他日を期す」こと(松下幸之助翁)---今月のメッセージ(11月号)
2010年11月5日02:07:00 「撤退」とは、「他日を期す」こと ●世間が驚いた、大型コンピューター事業からの撤退 1964年(昭和39年)10月、電機業界が驚くような撤退劇がありました。 まさに東京オリンピックが開催された同じ年月、日本の高度成長とともに新規技術開発が注目されていた時でした。 なかでも注目されていたのが、大型コンピューター。 松下電器も、松下通信工業を中心に量産化を目指して5年前から研究開始。 それまでにつぎ込んだ研究費は、すでに10数億円。試作品は実用化の段階まで進み、この時期にはフィリップス社(オランダ)と提携して、新会社を設立する準備まで進んでいたのです。 成長分野ということで、さらに電機業界7社がそれぞれ2億円を出し合い、日本電子計算機株式会社を設立し、より高性能な機種に向けた共同開発も始まっていました。 丁度そんな折、米国チェース・マンハッタン銀行副頭取が来日。松下電器の松下幸之助翁と面会するのです。副頭取 「松下さん、あなたの会社は電子計算機を出がけているそうですが?」 松 下 「難しい仕事なので、慎重に手がけています」 副頭取 「ところで、日本に電子計算機メーカーは何社ありますか?」 松 下 「一流メーカーとしては、7社ですな」 副頭取 「私の銀行は世界中にカネを貸していますが、電子計算機メーカーは経営が思わしくない。米国でも、IBMやGMなど数えるほど。ましてIBM以外は衰退してきている」 「日本に7社もあるのは、多すぎると思いませんか」