塩の経済…大橋
塩は人間にとって最も身近な存在であり、これなしでは一日足りとも生きることはできません。
人間の体には数百グラムの塩が混ざっており、これが減ると腎機能障害などを起こします。
また、塩化ナトリウムは血清を一定のバランスに保つはたらきを持ちますので、塩分の濃度が落ちると人は脱水症状に陥ります。
重労働を課す場所では、発汗とともに塩分が大量に放出されることから、塩分の補給が欠かせません。
少し前までは、機械や労役を課す場所には、たいてい塩を容れた箱があり、労働者はそれを舐めながら働いていたようです。
今も、工事現場などの発汗の多い場所では、塩辛い味付けが好まれる傾向にあります。
ちなみに、塩鉱山に強制連行された者の中には、空腹のあまり、岩塩にむさぼりつく人間が少なくなかったそうです。
そうした人たちは、身体はガリガリにやせ衰えているのに、顔だけが塩分の摂りすぎによって風船のようにパンパンに膨らんでいたといいます。
塩と人間との付き合いはとても古く、ヨーロッパでは先史時代から塩が使われていたそうで、古代の都市は塩にゆかりのある土地や街道沿いに造られてきたそうです。
古代ローマでは料理に使われるほか染料にも使われ、大量に塩が消費されました。
兵士に塩が支給されており、この塩(sal)がのちの給与(salary)の語源になったのは有名な話です。
中世に入ると、製塩技術の発達や塩鉱山の開発により、塩の供給が増大します。
肉や魚、野菜を保存するのは塩でしたし、また、パンを作る時にも大量の塩を使います(現在もパンには多くの塩が含まれています)。
それだけではなく、ビールやワインにも塩が風味づけとして入れられたといわれ、文字通り、ありとあらゆる食材に塩が使われていったのでした。
ちなみに当時の塩は、今のような粉末状のものではなく、岩塩をそのまま切り取った大きな結晶状のものが中心でした。
これをノミなどでガキンガキンと削り取り、精製して使用したのです。
なお、当時の製塩所や塩田は、たいてい僧院や修道院の支配下にあり、彼らの重要な収入源となりました。
時代が下るとともに、その支配権は富裕層や領主などに移りましたが、彼らは高い「塩税」をかけて人々を圧迫したといいます。
フランスでは、塩の取り扱いは国家の管理品目となり「塩税」を支払わない、いわゆる納税義務を果たさない人々が膨大な数にのぼり、1万人近い人々が投獄され、4000人近い人が何らかの形で差し押さえを受けています。
この、塩税に関する不満がフランス革命の遠因になったとする学者もいるほどです。
中国でも、中国4000年の歴史・「夏(か)」の時代から製塩は行われていました。
海に面した場所で、海水を煮詰めて作られた塩は街道を通り、商人の手によって街々に輸送されるわけですが、塩は利益率が高い商品なので盗賊などに襲われやすく、三国志で有名な劉備・関羽・張飛などは、若い頃これの護衛をして力をつけていったそうです。
のちに彼らは義勇兵を率いて戦場に出ることになりますが、この背景には塩商人たちのバックアップがあったといわれています。
横浜の中華街に行くと関羽が商売の神様として祀られていますが、これは関羽が塩商人の守り神だったから、という謂れのようですね。
古代も現在も、塩は国家の重要な管理品目のひとつであり貴重な財源でした。
流通ルートを押さえれば、容易に専売制を敷くことができます。
そのため、各時代の政府はこぞってこの結晶を国家の専売項目に入れました。
日本も例外ではなく、最近まで塩の専売制が敷かれておりました。
これが廃止されたのはなんと平成9年。
つい最近まで塩の販売は日本国が管理していたのですね。
江戸時代の頃から、たとえば忠臣蔵・伯方の塩などで有名な赤穂藩では税制確保のため塩の専売を導入していました。
明治になって日露戦争の財源確保のために、塩に税金を駆ける法案が出されましたが、
これに反対する人たちが塩の販売を専売するように提案、専売制が始まったようです。
これから紆余曲折、第二次世界大戦で輸入がストップしたことで自家製塩制度が認められましたが
戦後、日本専売公社によって専売事業は復活。
日本専売公社は日本たばこ産業(JT)として民営化。
そして前述の平成9年に塩の専売制は塩事業法に移行し、日本たばこ産業の塩事業は
財団法人塩事業センターに移管。
これによって日本の塩の専売制は廃止、という流れで今に至るわけです。