税理士の佐藤です…203高地から旅順港を見下ろせば
4月の初めにお休みを頂き、初めて中国の大連に3泊4日で行って来ました。
年末に見たNHKの「坂の上の雲」の舞台となった203高地から旅順港を見下ろせば・・・
そこには、かつて日露戦争で1万7千人の日本兵と5千人のロシア兵が命を落とした激戦の地とは思えない
のどかな風景が広がっていました。
日本軍はロシアを出港したバルチック艦隊が迫る中、旅順港に立て篭もるロシア艦隊を殲滅するため、
湾の入り口(水路はわずか91メートル)を封鎖すべく海からも決死の覚悟で
老朽船21隻を3回に渡り湾の入り口付近まで近づけて自沈させようとしますが、湾の両側から猛烈な砲撃を受け目的を遂げることができません。
一方、旅順港を陸側から攻撃するため大きな犠牲を払いながら旅順を目指しますが、難攻不落のロシア要塞を攻め落とすことができません。
湾の入り口(水路はわずか91メートル)を封鎖すべく海からも決死の覚悟で
老朽船21隻を3回に渡り湾の入り口付近まで近づけて自沈させようとしますが、湾の両側から猛烈な砲撃を受け目的を遂げることができません。
一方、旅順港を陸側から攻撃するため大きな犠牲を払いながら旅順を目指しますが、難攻不落のロシア要塞を攻め落とすことができません。
日本軍は目標を203高地に変更し、着弾観測点を203高地に置き
射程距離7キロの28センチ砲を山越しに発射することで旅順港内のロシア艦隊を殲滅します。
その後、東郷平八郎率いる太平洋艦隊がロシアバルチック艦隊を撃破し日本は日露戦争に勝利することになりますが、
それまでの戦いで費やした命の代償は大変なものでした。
100年後の今、ロシア軍の要塞の塹壕跡やそこに残る日本軍の銃弾の跡に、
折り重なるように死んでいった若い兵士達の姿を思い、手を合わさずには居られない思いでした。
時折日本人観光客が訪れるだけとなった203高地では、
今も、丘の上の慰霊塔が静かに港を見下ろしています。