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「ロシア人の家」はまだあった・・・佐藤です。

18.12.10
職員通信1
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私の母は今年で85才。
子供の頃のこと、生まれ育った実家の話になると、よく「ロシア人の家」の話がでてきます。
余程印象が強かったのでしょうか。
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隣の部落に、ロシア人の奥さんがいたこと(ご主人は日本人)背が高くスラリとした綺麗な人で、教師をしていたらしい。
その娘達は自分と同学年で、やはり綺麗で可愛らしかった。

池の近くに家があり、家の中も靴のまま入るようで、子供たちは小さい頃、よその家に行った時も、うっかり靴をはいたまま上がってしまった。等、人伝手に聞いたことも、覚えていて話してくれました。

日本に来たきっかけは、仕事でロシアに行っていた日本人の男性と結婚して、一緒に来たらしい。
私の母が昭和8年生まれなので、そこから推察すると、大正末期から昭和初期にかけて来日したのではないでしょうか。
まるで、4年程前に放送された、NHKの朝の連続ドラマ「マッサン」と同じ?…ニッカウイスキーの創始者の奥さんリタ(大正9年にスコットランドからはるばる、恋人のマッサンと一緒に来日)

「ロシア人のご家族」も、戦争中は、息を潜めた暮らしを余儀なくされたようだとのこと。
終戦当時は母も11~12才になっていましたが、その後ご家族がどうなったのかは知らないようでした。
私は、もしかしたら戦争のせいで、ロシアに帰ってしまったかも知れないと思っていました。

ところが昨日、最近お世話になり始めたケアマネージャさん(男)が見えて、母と3人で話をしていると、
何とご自宅は母の実家の近くとのこと、実家と言うと母の「ロシア人」の話がでました。

母の孫位のその方は、
『(ロシア人の家)まだありますよ、池もあります。みんな(ロシア人の家)と呼んでいるんですよね。
自分の家はその隣で、「ロシア人の家」の方々は最近近くの高台に移転しましたが、
お母さん(私の母)と同位のご年配の方がいて、やはり背がスラリとしています。(当時母同学年だった二世の娘さんでしょうか?)
その方のお子さんが学校の先生をしています。』
と、思いがけずその後の話を聞くことができました。

そのケアマネさんも、なぜここにロシア人が・・・と素朴な疑問をもっていたようでしたが、
母から来日のいきさつを聞いて、「そうだったんですか」とすっきりされたようです(笑)

私も73年前に止まっていた時間が、現代にタイムスリップしたような不思議な感覚で、
プチアンビリバボーな出会いでした(笑)