ゲーム理論に学ぶ『囚人のジレンマ』~「裏切り」か「協調」か~
■ ゲーム理論
今月は、ゲーム理論です。
ゲーム理論とは、社会において自社の行動が、競合他社に対してなんらかの反応を引き起こし、それがまた自社の行動に影響してくる・・・という、さもゲーム的な状況のなかで、競合する企業間の相互作用・競争行動を分析して数字に表していくものです。
今月は、ゲーム理論です。
ゲーム理論とは、社会において自社の行動が、競合他社に対してなんらかの反応を引き起こし、それがまた自社の行動に影響してくる・・・という、さもゲーム的な状況のなかで、競合する企業間の相互作用・競争行動を分析して数字に表していくものです。
■ “囚人のジレンマ”
“囚人”というと、名前は少し物騒ですが、“囚人のジレンマ”とは、ゲーム理論の代表的なモデルで、非協力ゲームのひとつです。
社会のなかでお互いが協力し合うことが、より良い結果を招くことがわかっていても、自分だけが協力しない方が、目の前の利益を得られるような状況になると、目先の損得だけを考えて、お互いに協力しなくなってしまう・・・そんな一種の“ジレンマ”のような理論です。
1950年に、数学者のアルバート・タッカーが考案した際、ゲーム理論を囚人の黙秘や自白に例えたことから、“囚人のジレンマ”という名前が付いています。
各個人が合理的に選択した結果が、必ずしも社会全体にとって望ましい結果とはならない・・・その意味で、社会的ジレンマとも呼ばれています。
(つづく)
“囚人”というと、名前は少し物騒ですが、“囚人のジレンマ”とは、ゲーム理論の代表的なモデルで、非協力ゲームのひとつです。
社会のなかでお互いが協力し合うことが、より良い結果を招くことがわかっていても、自分だけが協力しない方が、目の前の利益を得られるような状況になると、目先の損得だけを考えて、お互いに協力しなくなってしまう・・・そんな一種の“ジレンマ”のような理論です。
1950年に、数学者のアルバート・タッカーが考案した際、ゲーム理論を囚人の黙秘や自白に例えたことから、“囚人のジレンマ”という名前が付いています。
各個人が合理的に選択した結果が、必ずしも社会全体にとって望ましい結果とはならない・・・その意味で、社会的ジレンマとも呼ばれています。
(つづく)
■ もし、あなたならどうしますか?
たとえば、オレオレ(お母さん助けて?!)詐欺の共犯者を、警察が捕まえたとします。
囚人となった二人は、別々の部屋で取り調べを受けています。
もし二人とも黙秘を続けてしまったら、警察は微罪しか立証できず、
懲役3年にしか罰することができません。
警察は、それぞれ別の部屋で取り調べを受けている二人の囚人に対して、一考をめぐらします。
そこで、こんな司法取引を持ちかけるのです。
「もし、二人とも黙秘しつづけたら、二人とも懲役3年!」
「もし、相棒の罪を証言すれば、おまえは釈放してやる。
自白しなかった相棒は懲役10年!」
「もし、二人とも口を割ったら、二人とも懲役8年!」
もし、あなたならどうしますか?
■ 結局、二人とも裏切り合ってしまう・・・「最適反応」
さてさて、こんな状況に追い込まれたときに、
二人の囚人は、どう行動するだろうか?
どう行動すべきだろうか? ・・・というのが“囚人のジレンマ”です。
最後まで相棒と協力して、黙秘を貫くべきか、
それとも相棒を裏切って、自分だけ助かるために自白をするべきか・・・。
囚人Aは、Bと隔離された取り調べ室で、こう頭をめぐらせるのです・・・
①相棒の囚人Bが黙秘の場合⇒自分も黙秘すれば懲役3年>裏切って証言すれば釈放
②相棒囚人Bが裏切って証言した場合⇒自分が黙秘すれば懲役10年>裏切って証言すれば懲役8年
囚人Bも、Aと隔離された取り調べ室で、まったく同じように頭をめぐらせるのです・・・
①相棒の囚人Aが黙秘の場合⇒自分も黙秘すれば懲役3年>裏切って証言すれば釈放
②相棒囚人Aが裏切って証言した場合⇒自分が黙秘すれば懲役10年>裏切って証言すれば懲役8年
その結果、どうなるか?
Aにとっては、(Bが裏切ろうが裏切るまいが・・・)
Bを裏切ってしまったほうが、罪は軽くなるので、Bを裏切るという選択に傾きます。
Bにとっても(Aが裏切ろうが裏切るまいが・・・)
Aを裏切ってしまったほうが、罪は軽くなるので、Aを裏切るという選択に傾いてしまうのです。
これは、いわば良し悪しではなく、
Aだけのことを考えれば「最適反応」でもあるのです。
Bにとってもしかりで、結局、二人とも裏切り合って、証言してしまう!
という、警察の思いのままの結果になってしまうのです。
■ 「協調」を選ばずに、“共倒れ”
結果としては、二人とも裏切り合って、懲役8年に。
最後まで相手を信じて、黙秘を貫き通せば、懲役3年で済んだのにもかかわらず・・・
このように、ゲーム理論では、相手の行動をいろいろと見越して場合分けして、
自分自身の「最適反応」となるように合理的に判断したつもりであっても、
結果的には、必ずしも『全体として最適な解』とはならない・・・
ことを指して“ジレンマ”と呼んでいるのです。
お互いが自分の最適だけを考えるばかりに、
相手との「協調」をすっかり忘れて、いわば“共倒れ”してしまったわけです。
「裏切り」ではなく「協調」という選択肢を、お互いに冷静に選ぶことができれば、
“共倒れ”という事態は避けることができたのに。。。
■ 社会のなかでも、同じ場面が・・・
社会のなかでも、同じことがいえる場面は、少なくないかもしれません。
市場で競合する相手、受注を取り合っている同業他社がいる場合など、価格競争はじめ様々な場面・・・
「協調」したほうが両社にとっても、将来の市場にとっても、望ましいにもかかわらず、
自社の論理だけで「裏切り」のような競争に走ってしまう。
結果的に、その「非協調」が両社の首をしめ、低価格競争へと市場を導いてしまい、
“共倒れ”につながってしまう・・・
思い当たるフシ、いかがでしょうか。
このゲーム理論は、社会学的のみならず、経済学、政治学、心理学、倫理学でも、また生物学でも
「協力」行動の重要性を説明する理論としても用いられています。
実は、このゲーム理論には続きがあり、
今回ご紹介したのは、“囚人のジレンマ”が一過性で有限である場合を前提にしています。
“囚人のジレンマ”的な状況が繰り返される場合には、
相手との「協調」の可能性が高まってくることも知られていますが、これは別の機会に譲ります。
9月の声とともに、めっきり涼しくなった秋の夜長・・・
イヤ、自分なら絶対に裏切らない!という皆様も、
どうぞ寝る前に“囚人のジレンマ”に頭をめぐらせてみてくださいませ。
きっと、いつもより早く寝付けることかと思います???
2015年(平成27年) 9月 山 崎 泰
たとえば、オレオレ(お母さん助けて?!)詐欺の共犯者を、警察が捕まえたとします。
囚人となった二人は、別々の部屋で取り調べを受けています。
もし二人とも黙秘を続けてしまったら、警察は微罪しか立証できず、
懲役3年にしか罰することができません。
警察は、それぞれ別の部屋で取り調べを受けている二人の囚人に対して、一考をめぐらします。
そこで、こんな司法取引を持ちかけるのです。
「もし、二人とも黙秘しつづけたら、二人とも懲役3年!」
「もし、相棒の罪を証言すれば、おまえは釈放してやる。
自白しなかった相棒は懲役10年!」
「もし、二人とも口を割ったら、二人とも懲役8年!」
もし、あなたならどうしますか?
■ 結局、二人とも裏切り合ってしまう・・・「最適反応」
さてさて、こんな状況に追い込まれたときに、
二人の囚人は、どう行動するだろうか?
どう行動すべきだろうか? ・・・というのが“囚人のジレンマ”です。
最後まで相棒と協力して、黙秘を貫くべきか、
それとも相棒を裏切って、自分だけ助かるために自白をするべきか・・・。
囚人Aは、Bと隔離された取り調べ室で、こう頭をめぐらせるのです・・・
①相棒の囚人Bが黙秘の場合⇒自分も黙秘すれば懲役3年>裏切って証言すれば釈放
②相棒囚人Bが裏切って証言した場合⇒自分が黙秘すれば懲役10年>裏切って証言すれば懲役8年
囚人Bも、Aと隔離された取り調べ室で、まったく同じように頭をめぐらせるのです・・・
①相棒の囚人Aが黙秘の場合⇒自分も黙秘すれば懲役3年>裏切って証言すれば釈放
②相棒囚人Aが裏切って証言した場合⇒自分が黙秘すれば懲役10年>裏切って証言すれば懲役8年
その結果、どうなるか?
Aにとっては、(Bが裏切ろうが裏切るまいが・・・)
Bを裏切ってしまったほうが、罪は軽くなるので、Bを裏切るという選択に傾きます。
Bにとっても(Aが裏切ろうが裏切るまいが・・・)
Aを裏切ってしまったほうが、罪は軽くなるので、Aを裏切るという選択に傾いてしまうのです。
これは、いわば良し悪しではなく、
Aだけのことを考えれば「最適反応」でもあるのです。
Bにとってもしかりで、結局、二人とも裏切り合って、証言してしまう!
という、警察の思いのままの結果になってしまうのです。
■ 「協調」を選ばずに、“共倒れ”
結果としては、二人とも裏切り合って、懲役8年に。
最後まで相手を信じて、黙秘を貫き通せば、懲役3年で済んだのにもかかわらず・・・
このように、ゲーム理論では、相手の行動をいろいろと見越して場合分けして、
自分自身の「最適反応」となるように合理的に判断したつもりであっても、
結果的には、必ずしも『全体として最適な解』とはならない・・・
ことを指して“ジレンマ”と呼んでいるのです。
お互いが自分の最適だけを考えるばかりに、
相手との「協調」をすっかり忘れて、いわば“共倒れ”してしまったわけです。
「裏切り」ではなく「協調」という選択肢を、お互いに冷静に選ぶことができれば、
“共倒れ”という事態は避けることができたのに。。。
■ 社会のなかでも、同じ場面が・・・
社会のなかでも、同じことがいえる場面は、少なくないかもしれません。
市場で競合する相手、受注を取り合っている同業他社がいる場合など、価格競争はじめ様々な場面・・・
「協調」したほうが両社にとっても、将来の市場にとっても、望ましいにもかかわらず、
自社の論理だけで「裏切り」のような競争に走ってしまう。
結果的に、その「非協調」が両社の首をしめ、低価格競争へと市場を導いてしまい、
“共倒れ”につながってしまう・・・
思い当たるフシ、いかがでしょうか。
このゲーム理論は、社会学的のみならず、経済学、政治学、心理学、倫理学でも、また生物学でも
「協力」行動の重要性を説明する理論としても用いられています。
実は、このゲーム理論には続きがあり、
今回ご紹介したのは、“囚人のジレンマ”が一過性で有限である場合を前提にしています。
“囚人のジレンマ”的な状況が繰り返される場合には、
相手との「協調」の可能性が高まってくることも知られていますが、これは別の機会に譲ります。
9月の声とともに、めっきり涼しくなった秋の夜長・・・
イヤ、自分なら絶対に裏切らない!という皆様も、
どうぞ寝る前に“囚人のジレンマ”に頭をめぐらせてみてくださいませ。
きっと、いつもより早く寝付けることかと思います???
2015年(平成27年) 9月 山 崎 泰