山本五十六に学ぶ『中小企業経営』
■ 山本五十六を訪ねて長岡市に・・・
新潟市で開催された前日までの印刷業界総会を終えて、6月8日、長岡市に足を運びました。
長岡の生んだ偉人・山本 五十六の足跡を訪ねるべく・・・
「為せばなる 為さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」
亡父が創業した印刷会社の片隅に、かかっていた額・・・
米沢藩を再建させ、江戸時代屈指の名君といわれた上杉 鷹山の短歌です。
私自身、小さい頃から見て育っただけに、忘れることができません。
■ 上杉鷹山の影響を強く受けた山本 五十六
上杉鷹山は「してみせて 言って聞かせて させてみる」の言葉も残し、
「やって見せ 説いて聞かせて やらせてみ 讃めてやらねば 人は動かず」
の言葉を残した海軍大将・山本五十六が、大きな影響を受けた人物といわれています。
父が横須賀の海軍に入隊した時には、既に戦死していた山本五十六。
私が生まれたのを機に、印刷業を創業し、
山本五十六が好んで語った上杉鷹山の言葉を、自社の工場に掲げ続けた父。
図らずも、印刷業界の集まりの後、親父を追いかけるような
なにか引き込まれるような想いで、長岡を訪ねたのでした。
■ 日独伊三国軍事同盟、日米開戦に最後まで反対
山本五十六は、旧長岡藩士族・高野貞吉の6男として出生。
旧制長岡中学を卒業後、2番の成績で海軍兵学校へ入学。
大正5年、旧長岡藩家老・山本家帯刀の養子に。
日独伊軍事同盟、そして最後まで日米開戦に反対しながらも、
太平洋戦争では連合艦隊司令長官を務め、
真珠湾攻撃の指揮を執ったことで有名です。
昭和18年、ブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜され戦死。
死後、元帥の称号を授与されます。
■ 小たる日本が、大なるアメリカといかにして戦い抜くか!
太平洋戦争では連合艦隊司令長官を務め、
真珠湾攻撃の指揮を執ったことで有名です。
昭和18年、ブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜され戦死。
死後、元帥の称号を授与されます。
■ 小たる日本が、大なるアメリカといかにして戦い抜くか!
米国日本大使館勤務、ロンドン軍縮会議等を通じて、
日本海軍は米国海軍の1/4の戦力しかないことを
熟知し、日米開戦に最後まで反対した山本五十六。
しかし開戦してしまった以上、大国相手に、
一部のリーダーだけで大戦を乗り越えることはできないことも
知っていたのです。
ことに海軍は、ひとつの船に乗り合わせて戦い続けていかなければ
ならない。
“いかにして、国全体として人の力を発揮させ、人を動かすか!”
すなわち、日本の国力・戦力の限界を、いかにマンパワーで乗り越えていくかを、徹底して考え抜くのです。
■ 小さな組織、いかにして大きな戦力を発揮していくか!
「百人の搭乗員中、幾人かあるか知れぬような天才的な人間でなければ
着艦できないような航空母艦は、帝国海軍に必要ない。
搭乗員の大多数が着艦できるものでなければならぬ。
素質もさることながら、
要は訓練方式の改善と訓練努力の如何にあると信ずる。
天才よりも努力によって訓練した入神の技術の方が遥かに勝っている」
「国産品を使え!でないと日本の航空は独立もしないし、
発達もしない」
戦力が1/4なら、兵隊がいかに4倍の力を発揮できるか。
一部の人間だけでなく、訓練によって全体の戦力・底力を上げていく。
補給路を断たれることも見越して、日本科学技術をとにかく向上させる。
兵の減少を最小限に抑えるために、航空戦の強化。
洋上給油を見事に成し遂げて、ハワイまでたどり着いた真珠湾攻撃・・・等々
日本の国力・戦力の限界を、ありとあらゆる戦略で乗り越えていくのです。
■ 山本五十六に学ぶ『中小企業経営戦略』
実は皆様、もうお気づきだと思います。
中小企業は、ヒト・モノ・カネ、いわゆる設備投資では大企業にかないません。
山本五十六が「讃めてやらねば人は動かず」と語ったように、
いかにして、社員一人ひとりの士気を高めていくか。
山本五十六が、空母着艦搭乗員の訓練を強化したように、
いかにして、社員一人ひとりの力を幅広く高めていくか。
そのための訓練方式を改善し、訓練努力を行っていくか。
山本五十六が、日米開戦前に悟ったように、
社長一人だけが機関車のように会社を引っ張るのではなく、
社員全員が引っ張っていく体制を、どう創りあげていくか。
零戦を作り上げたように、ニッチでもいいから、
どうすれば技術革新等で勝てる分野をもてるか。
連合艦隊が15度傾くと難しいといわれた洋上給油を乗り越えて、真珠湾にたどり着いたように、
いかにして社員の力を合わせて乗り越えるチームワークを育成するか。
山本五十六が大国・米国相手にとった戦略には、
まさに中小企業が大企業に伍していくための経営戦略の秘訣が、
要所要所に隠されているように思えてなりません。
■ 山本五十六記念館で知った・・・『男の修行』
山本五十六記念館で初めて知った・・・『男の修行』
社長一人だけが機関車のように会社を引っ張るのではなく、
社員全員が引っ張っていく体制を、どう創りあげていくか。
零戦を作り上げたように、ニッチでもいいから、
どうすれば技術革新等で勝てる分野をもてるか。
連合艦隊が15度傾くと難しいといわれた洋上給油を乗り越えて、真珠湾にたどり着いたように、
いかにして社員の力を合わせて乗り越えるチームワークを育成するか。
山本五十六が大国・米国相手にとった戦略には、
まさに中小企業が大企業に伍していくための経営戦略の秘訣が、
要所要所に隠されているように思えてなりません。
■ 山本五十六記念館で知った・・・『男の修行』
山本五十六記念館で初めて知った・・・『男の修行』
「苦しいこともあるだろう
いいたいこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえていくのが 男の修行である」
山本五十六長官率いる艦隊には、
この一文がトイレに貼ってあったと聞いて、
亡父が、軍隊時代の辛い経験はあまり語らなかった理由が・・・
少しだけわかったような気がして、父に近づけたようにも思えたひと時でした。
2014年(平成26年)6月
山 崎 泰