『かきがら』落とし
2009年7月30日19:48:00
『かきがら』落とし
皆様には、それぞれに安眠法がおありかとも思います。
私は寝る前に好きな歴史書をもって横になり、好きな頁まで読んでいるうちに眠くなってくる---というのが、安らぎのひと時です。
いま読み返しているのは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」。
寝る前のひと時しか読まないので、子ども達からも「まだ2巻?」と言われるくらいペースは遅いのですが、仕事と違い、そのマイペースがなんとも楽しいのです。
その第2巻に、こんなくだりが出てきます。
秋山兄弟の弟、秋山真之。
海軍兵学校を主席卒業、日本海軍史上きっての戦術家といわれる真之がアメリカ・イギリス駐在から帰国。
幼なじみの正岡子規に、胸に抱き続けてきた思いをぶつける場面です。
あし(真之のこと)の思うことは海軍のことじゃが。升さん(子規のこと)も、俳句と短歌というものの既成概念をひっくりかえそうとしている。あしも、海軍の概念をひっくりかえそうと考えている。
軍艦は一度遠洋航海に出て帰ってくると、船底にかきがらがいっぱいくっついて船足がうんと落ちる。人間も同じで、経験は必要じゃが、経験によって増える智恵とおなじ分量だけのかきがらが頭につく。
人間だけではない。国も古びる、海軍も古びる。かきがらだけになる。山本権兵衛という海軍省の大番頭は、かきがらというものを知っている。日清戦争を始めるにあたって、戊辰戦争以来の元勲的な海軍幹部のほとんどを首切ってしまった。この大整理は、かきがら落としじゃ。おかげで日本海軍の船足は機敏で、かきがらだらけの清国艦隊をどんどん沈めた。
もう海軍はとはこう、艦隊とはこう、作戦とはこう、という固定概念(かきがら)がついている。恐ろしいのは、固定概念そのものではなく、固定概念がついていることも知らずに平気で司令室や艦長室のやわらかい椅子にどっかりと座り込んでいることじゃ。
この思いを子規に吐露し、海軍改革に取り組んだ数年後、真之は日露戦争・日本海海戦で連合艦隊司令長官・東郷平八郎に作戦を一任され、バルチック艦隊を殲滅し、日本海軍を歴史的勝利へと導き、日本の近代への道を拓いたともいえるのです。
どんな組織も会社も、そしてこの国も、『かきがら(固定概念)』を落とし続けないと、船底についたかきがらの重さで、知らず知らずのうちに、本当に動けなくなってしまうのかも知れません。
平成21年(2009年)7月 |