松下電器創業100周年~谷井昭雄・松下電器産業元社長が語る、素顔の松下幸之助翁~
■ 1918年3月7日創業から、ちょうど1世紀
今年は、松下電器創業100周年。
「パナソニック100年」と題して、日本経済新聞でも大きく取り上げていました。
松下幸之助翁とむめの夫人、義弟・井植歳男氏と3人で、大阪市内の一軒家を借りて、松下電気器具製作所(後に松下電器製作所に改称)を創業したのが・・・まさにちょうど1世紀前、1918年3月7日です。
晩年、その松下幸之助翁が、理想の社会づくりへの想いを託した「松下政経塾」。
私も属する「松下政経塾」塾員会の年次総会が先日開催され、松下幸之助翁を良く知る松下電器産業元社長・谷井昭雄氏を特別講話のゲストにお迎えしました。
谷井氏は、1956年11月に、松下電器に入社。
1979年に取締役に就任後、常務取締役~専務取締役~副社長~社長に就任。
現在は、パナソニック株式会社の特別顧問を務めておられます。
齢89歳とは思えないくらいのお元気な姿で、松下幸之助翁との思い出を語っていただいた、感動のひととき。。。
「経営の神様」との感動のエピソード・・・
共有していただけたら、嬉しいかぎりです。
(つづく)
今年は、松下電器創業100周年。
「パナソニック100年」と題して、日本経済新聞でも大きく取り上げていました。
松下幸之助翁とむめの夫人、義弟・井植歳男氏と3人で、大阪市内の一軒家を借りて、松下電気器具製作所(後に松下電器製作所に改称)を創業したのが・・・まさにちょうど1世紀前、1918年3月7日です。
晩年、その松下幸之助翁が、理想の社会づくりへの想いを託した「松下政経塾」。
私も属する「松下政経塾」塾員会の年次総会が先日開催され、松下幸之助翁を良く知る松下電器産業元社長・谷井昭雄氏を特別講話のゲストにお迎えしました。
谷井氏は、1956年11月に、松下電器に入社。
1979年に取締役に就任後、常務取締役~専務取締役~副社長~社長に就任。
現在は、パナソニック株式会社の特別顧問を務めておられます。
齢89歳とは思えないくらいのお元気な姿で、松下幸之助翁との思い出を語っていただいた、感動のひととき。。。
「経営の神様」との感動のエピソード・・・
共有していただけたら、嬉しいかぎりです。
(つづく)
■ 松下幸之助翁から、教えと薫陶を受けた者同士
松下幸之助翁は、松下電器(現・パナソニック)にとっては「創業者」・・・
松下政経塾にとっては「塾主」・・・
呼び方こそ違えども、教えと薫陶を受けた者同士。
同士と呼ばれるには、あまりにも畏れ多いのですが・・・
そんな親近感あふれる話から始まる谷井昭雄氏の講話に、
塾員一同、くぎ付けになります。。。
■ 初めて声をかけられた・・・1961年(昭和36年)
松下幸之助翁から、初めて声をかけられたのは1961年(昭和36年)。
松下電器の社長から会長へと替わった、大きな節目の年。
第一線の社長を退き、会長となって、
「松下電器の経営は後方から支えながら、今後はPHPの活動に力を入れたい」
そう、宣言された年。
1961年は、私の生まれた年でもあるので、よく刻み込んでいます。
このとき・・・
松下幸之助翁、創業43年、66歳。
谷井昭雄氏、入社5年目、33歳。
谷井氏は途中入社、3つ目の会社が松下電器。
テープレコーダー事業部の一部員として、
技術者として、テープレコーダー事業部長に同行して、
開発中のテープレコーダーを説明するために、
京都の真々庵に出向きます。
■ 京都・真々庵の日本間で出会った・・・『素直』の二文字
テープレコーダーに関して、
当時の先発組は、なんといってもソニー。
松下電器は、まだまだ後発組。
ちなみに、京都の真々庵は、いわば松下電器の迎賓館。
真々庵に建立した根源の社の前に座り、
幸之助翁が沈思黙考したことでも知られています。
日本間に通された、谷井氏。
幸之助翁も愛した日本間に掲げられていた、
幸之助翁直筆の一枚の半紙。
その日本間に掲げられた、半紙に書かれていたのは・・・
『素直』の二文字。
■ 松下電器の商品説明。。。
大企業では、多忙を極める経営トップに対する説明は、
責任者が書面で簡潔に説明するのが、普通の形だろうと思うのですが、
当時の松下電器は、かなり違っていました。
幸之助翁の前に、実際に商品を持ち込んで、
商品を目の前にして、ときに商品開発の技術担当者からも、トップに直に説明。
谷井昭雄氏が、松下幸之助翁に初めて出会った、
テープレコーダーの説明のときも、
商品を前に、若い技術者だった谷井氏自らも、
説明にあたったといいます。
■ "品質管理"よりも前に、大事なことは”人質管理”やで
ひと通り、商品の説明を聞く松下幸之助翁。
聞き終わると・・・
「キミ、良いのができたやないか〜」
いくら経営の神様でも、一目だけでは、商品の詳細な良否まではわからない。
なのに、目の前の若い社員を褒めてくれる松下幸之助翁。
「キミな~、今、松下の各工場では、一生懸命良いものを作るために品質管理をしてくれているが、
"品質管理"より前に、もっと大事なことは"人質(じんしつ)管理"やで」
この一言に、松下幸之助翁の真髄、松下電器の本質を見たと、谷井昭雄氏は語ります。
戦後、日本が復興し、経済成長していくためには、
良い商品を作って、 貿易立国として経済立国となることが大事だった。
しかし、残念ながら、安かろう悪かろう・・・が当時の日本製品に対する評価。
世界に通用する日本製品にするためにも、
「品質管理」のみならず、「品質管理」を行う『ひと』がもっと大切!
幸之助翁は、若い技術者ひとりに対しても、その大切さを説き・・・
そのひと言が、将来の松下電器の社長を生むことになるのです。
松下幸之助翁は、常に「松下電器は人をつくる会社」と、語り続けます。
若い技術者の前でも、大切にしている想いを伝え続けるのです。
■ トップの仕事は、「決断」
決めるべき時は決めること。
トップの仕事を一つに絞るとするならば、それは「決断」だと、谷井氏は断言されます。
時が経ち、谷井昭雄氏はビデオテープレコーダーを製作する
岡山のビデオ事業部の工場長に。
ビデオテープレコーダーは、アメリカではテレビの放送局用に使われていましたが、
日本では、家庭用にもっと小さくして商品化したい・・・
そんな思いで、各社が凌ぎを削っていました。
1975年には、ソニーが「ベータマックス」を発売。
松下電器&日本ビクターが、「VHS」を発表。
まさに、「VHS」vs「ベータ」、どちらが業界の統一規格となるか?
有名な松下幸之助、盛田昭夫会談が行われたのは、ちょうどこの頃。。。
ソニーの盛田昭夫氏が松下電器本社に、松下幸之助翁を訪ねて来られ、
「家庭用ビデオテープレコーダーの規格を、ベータに統一して欲しい」と要請。
当時の通産省も、過度な競争は避けて欲しい旨の意向。
ポスト“カラーテレビ”は、”ビデオ”という時代のもと、
国内での無用な競合は避けて、早々に国内規格を統一して、
国際間競争に備えて欲しい。。。
そんな、政府をも巻き込んだ統一規格問題。
ソニーの盛田昭夫氏の要請に、
松下幸之助翁は、どう答えたのでしょうか???
【続きは、2018年4月号にて・・・】
平成30年(2018年)3月
山 崎 泰
◎ホンネで綴る『山崎 泰 “ズッこけ”デイリーブログ!』
宜しければ、こちらもどうぞご笑覧くださいませ。
http://blog.goo.ne.jp/yama-tai61
松下幸之助翁は、松下電器(現・パナソニック)にとっては「創業者」・・・
松下政経塾にとっては「塾主」・・・
呼び方こそ違えども、教えと薫陶を受けた者同士。
同士と呼ばれるには、あまりにも畏れ多いのですが・・・
そんな親近感あふれる話から始まる谷井昭雄氏の講話に、
塾員一同、くぎ付けになります。。。
■ 初めて声をかけられた・・・1961年(昭和36年)
松下幸之助翁から、初めて声をかけられたのは1961年(昭和36年)。
松下電器の社長から会長へと替わった、大きな節目の年。
第一線の社長を退き、会長となって、
「松下電器の経営は後方から支えながら、今後はPHPの活動に力を入れたい」
そう、宣言された年。
1961年は、私の生まれた年でもあるので、よく刻み込んでいます。
このとき・・・
松下幸之助翁、創業43年、66歳。
谷井昭雄氏、入社5年目、33歳。
谷井氏は途中入社、3つ目の会社が松下電器。
テープレコーダー事業部の一部員として、
技術者として、テープレコーダー事業部長に同行して、
開発中のテープレコーダーを説明するために、
京都の真々庵に出向きます。
■ 京都・真々庵の日本間で出会った・・・『素直』の二文字
テープレコーダーに関して、
当時の先発組は、なんといってもソニー。
松下電器は、まだまだ後発組。
ちなみに、京都の真々庵は、いわば松下電器の迎賓館。
真々庵に建立した根源の社の前に座り、
幸之助翁が沈思黙考したことでも知られています。
日本間に通された、谷井氏。
幸之助翁も愛した日本間に掲げられていた、
幸之助翁直筆の一枚の半紙。
その日本間に掲げられた、半紙に書かれていたのは・・・
『素直』の二文字。
■ 松下電器の商品説明。。。
大企業では、多忙を極める経営トップに対する説明は、
責任者が書面で簡潔に説明するのが、普通の形だろうと思うのですが、
当時の松下電器は、かなり違っていました。
幸之助翁の前に、実際に商品を持ち込んで、
商品を目の前にして、ときに商品開発の技術担当者からも、トップに直に説明。
谷井昭雄氏が、松下幸之助翁に初めて出会った、
テープレコーダーの説明のときも、
商品を前に、若い技術者だった谷井氏自らも、
説明にあたったといいます。
■ "品質管理"よりも前に、大事なことは”人質管理”やで
ひと通り、商品の説明を聞く松下幸之助翁。
聞き終わると・・・
「キミ、良いのができたやないか〜」
いくら経営の神様でも、一目だけでは、商品の詳細な良否まではわからない。
なのに、目の前の若い社員を褒めてくれる松下幸之助翁。
「キミな~、今、松下の各工場では、一生懸命良いものを作るために品質管理をしてくれているが、
"品質管理"より前に、もっと大事なことは"人質(じんしつ)管理"やで」
この一言に、松下幸之助翁の真髄、松下電器の本質を見たと、谷井昭雄氏は語ります。
戦後、日本が復興し、経済成長していくためには、
良い商品を作って、 貿易立国として経済立国となることが大事だった。
しかし、残念ながら、安かろう悪かろう・・・が当時の日本製品に対する評価。
世界に通用する日本製品にするためにも、
「品質管理」のみならず、「品質管理」を行う『ひと』がもっと大切!
幸之助翁は、若い技術者ひとりに対しても、その大切さを説き・・・
そのひと言が、将来の松下電器の社長を生むことになるのです。
松下幸之助翁は、常に「松下電器は人をつくる会社」と、語り続けます。
若い技術者の前でも、大切にしている想いを伝え続けるのです。
■ トップの仕事は、「決断」
決めるべき時は決めること。
トップの仕事を一つに絞るとするならば、それは「決断」だと、谷井氏は断言されます。
時が経ち、谷井昭雄氏はビデオテープレコーダーを製作する
岡山のビデオ事業部の工場長に。
ビデオテープレコーダーは、アメリカではテレビの放送局用に使われていましたが、
日本では、家庭用にもっと小さくして商品化したい・・・
そんな思いで、各社が凌ぎを削っていました。
1975年には、ソニーが「ベータマックス」を発売。
松下電器&日本ビクターが、「VHS」を発表。
まさに、「VHS」vs「ベータ」、どちらが業界の統一規格となるか?
有名な松下幸之助、盛田昭夫会談が行われたのは、ちょうどこの頃。。。
ソニーの盛田昭夫氏が松下電器本社に、松下幸之助翁を訪ねて来られ、
「家庭用ビデオテープレコーダーの規格を、ベータに統一して欲しい」と要請。
当時の通産省も、過度な競争は避けて欲しい旨の意向。
ポスト“カラーテレビ”は、”ビデオ”という時代のもと、
国内での無用な競合は避けて、早々に国内規格を統一して、
国際間競争に備えて欲しい。。。
そんな、政府をも巻き込んだ統一規格問題。
ソニーの盛田昭夫氏の要請に、
松下幸之助翁は、どう答えたのでしょうか???
【続きは、2018年4月号にて・・・】
平成30年(2018年)3月
山 崎 泰
◎ホンネで綴る『山崎 泰 “ズッこけ”デイリーブログ!』
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