『 Like a War!(まるで戦争のようだ)』--今月のメッセージ(6月号)
2011年6月14日19:39:00
『 Like a War!(まるで戦争のようだ)』
東日本大震災後の被災地の復興が、遅れています
日本人の多くが、いやほとんどが、被災された地域そして皆さんに対して、支援をしたいと思いつつ、いったい何をしたらよいのか、と戸惑っている方も少なくなかろうと思うのです。
救援、復旧、そして復興の段階に入ります。
政府や政治を批判することは簡単ですが、いま私たちにできること、そして我々会計人にできること、それは市場、造船、漁港を再建し、一日でも早く生活・経済基盤を復興させることにあると思うのです。
本格的な復興支援に向けて、日本のみならず海外の皆さんとも強い絆をもって「震災復興ファンド」創設すべく、全力で奔走しています。
■6月1日 『3倍遅い!』
さる5月、松下政経塾時代の恩師に、震災復興ファンド創設の相談をしたところ、6月1日13時に、神戸市新長田の鉄人28号モニュメント前に来てはどうかとのお誘い。
宮城県の気仙沼商店街の皆さんから、阪神淡路大震災で町の大半を消失しながらも、力強く立ち上がった新長田商店街に学びたいとの声を受けて、交流会を開催するとのこと。
私の知人の実家も、同じ気仙沼の商店街で米屋を経営していて大きな被害を受けたこともあり、吸い込まれるように交流の輪に加わりました。
新長田が焼けたのが、平成7年1月17日。まさにフライング気味で、仮設店舗・仮設住宅を発注したのが、1月27日。なんと、震災から10日目。
2月1日には、商店街・市場の災害対策本部を設置。
1ヶ月も経たない2月15日には、行政主導ではない町主導の街づくり協議会を結成。任意団体が、その後の解体や権利変換の主体となることは、通常の常識では考えられないくらいの異例。しかし、非常時には異例なくらいでないとスピードを持って進めないのも事実でしょう。
約3ヶ月目には仮設店舗の募集・仮設住宅の建設などが始まり、5ヶ月目の6月10日には「復興元気村パラール」という100店舗の入る仮設店舗村のオープンにこぎつけています。
ひと言も聞き漏らすまいと、真剣な眼差しで聞き入る気仙沼商店街の皆さん。
あきらめとも怒りともつかぬ表情で、最後に「今回は、阪神淡路大震災の3倍遅い!」と語ったひと言が忘れられません。
■6月2日 『おなじナガタというのに~何をやっているのか!?』
交流会2日目午前中は、新長田商店街の視察。
「商店主は、商店が再建できんと、暮らしに事欠くやろ」
「だから、暮らしに事欠く人達が、暮らしに事欠かん役所に押しかけるぐらいが丁度ええ」
行政にも手厳しい神戸パワーに背中を押され、また励まされるように視察する、気仙沼の皆さん。仮設店舗の参考にしようと、店舗の間口の長さを測ったり、アーケードや道路幅を質問したりーーーまさに、一挙手一投足が真剣そのものでした。
その一方で、テレビからは午後1時から開かれる衆議院本会議に向けて、内閣不信任案が可決されるかどうかの報道。結局は、茶番のような内閣不信任劇。
気仙沼や新長田の皆さんとは、あえて政治の話はしませんでしたが、当然、報道は皆さんの耳に入っていたはず。
この大事なときに、いったい永田町は、何をやっているのだろう、と嘆かわしい気持ちで視察をされていたように思えてならないのです。
■ 6月5日 仙台市荒浜地区 『いったい、どんな思いで海を---』
6月2日、気仙沼の皆さんとの再会を約束して3日後、6月5日から「震災復興ファンド」を立ち上げるべく、仙台市~石巻市~一関市~気仙沼市の視察。欧州銀行団の人道支援も入れて、民間で震災復興ファンドを立ち上げ、被災企業・被災市場・被災自治体等を再興させようという計画です。
まずは、仙台市に入り、 仙台市荒浜地区。
高速道路が防波堤の役割を果たしたのか、仙台東部道路の手前と先とでは、天国と地獄ほどの違いがあるのです。
荒浜の海岸に出る直前に、土産物店兼住居として使っていたと思しき建物が目に入りました。 何かとても気になり、吸い込まれるように、ひと気のなくなったその建物の前に立つと、 クマのプーさんのぬいぐるみが、店頭に転がっています。
ふと奥を見ると、キャラクターの付いたかわいいバケツに、花束が供えられてあります。そのお子さんが、愛用していたおもちゃだろうか。
そしてよく見ると、花の後ろには、「一期一会」の文字とおそらくは亡くなったそのお子さんの名前を彫った板が置いてあるのです。
荒浜海岸に出ると、浜辺にも数多くの花が手向けられています。
ご遺族は、いったいどんな思いで海を見つめているのだろうか。そう思うと、胸が締め付けられるようで、声になりません。
心から、心からご冥福をお祈り申し上げます。
■ 目が覚めたひと言! 『被災地は、沿岸部だけではない!』
重い気持ちを、震災復興ファンドを成功させたいとの前向きな気持ちに切り替えて臨んだ、最初のミーティング。
打ち合わせの相手は、宮城県内の信用組合元理事長。
今回の復興に関しても、既存債務を免除して資本化するなどして、「二重債務」の問題を解消してからでないと、地元企業は新たな借入に踏み切れないと主張されている、宮城県でも大変に影響力のある論客です。
甚大な直接損害を受けた地域を視察した直後だっただけに、どうしても目が沿岸部だけに向きがちになっていた時。
寝ぼけていた頭を覚まされるような、コメント。
「皆さんは、津波の直接的な被災地だけに、目が向いていませんか。」
「 私が把握しているだけでも、 先月の倒産件数のうち、直接損害は6件なのに対し、間接損害は60件なのです。」
「沿岸部だけ復興させても、本当の復興になりません。仙台市なども含めた、沿岸部からの産品の流通・消費に役立つ産業の再興も、同時に視野に入れて考えて行かなければ、本当の復興にはならないのです。」
確かに、小売にしても、卸売にしても、ホテルにしても、そして流通にしても、沿岸部からの産品の最大消費地ともいえる仙台市などを再興しなければ、産品の消費・流通が止まってしまうだろう。
やはり、東京で考えているだけでは、絵に描いた餅だ‼
震災支援は、現地現場に足を運ばないと、大きなミスマッチを起こしかねない恐ろしさを痛感した一日でした。
■ 6月6日 石巻市 『Like a War!』
視察2日目は、石巻市。
仙台市から三陸道を約50km、高速道路を下りて、市内に入り、市役所が近づくにつれて、町の様相が一変するのです。
信号機はいまだに点いておらず、警察官が手信号で交通整理。
がれきの山と化した町を抜けて、石巻漁港に行き着くと、 ドイツから来日している、欧州金融機関のメンバーが、私の顔を見てつぶやくのです。
「Like a War!」
まるで爆弾でえぐり取られた後かのような建物。
道路中央に焼けただれて、ひっくり返っている無数の自動車。
陸地に乗り上げている船舶。
そして、冷凍庫に残ったままと思われる魚の腐敗臭が、辺り一帯を覆っています。
まさに、まるで戦争のようでした。
■ 6月7日 気仙沼市 『この声、どこまで届いているのだろうか?』
気仙沼に到着後、すぐに港を視察。3ヵ月経った今も、がれきの山。
気仙沼出身の知人が出迎えてくれ、「2階に上がる階段の4段手前まで、水が上がって来た」と、泥で流された1階を見下ろしながら説明してくれるのです。
新長田で一緒に過ごした皆さんも、津波が襲ってきた状況を、詳しく教えてくれます。
「いま一番困っているのは、仕事がないこと。お金もありません。」
「建物は、壊すのは良いが、新しく立て直すのはダメ!」
「かといって、国が買い上げてくれるのかどうかもまだ定かではないんです。」
国や市の対応に対する苛立ちがとても大きいのが、聞いていてつらいほど良く分かります。
気仙沼漁港に向かい、漁港復興に燃える若手経営者と昼食をとりながら話し込みました。
「地元住民が動けない状況を、政府が作ってしまっているように思えてならないのです。」
「このままだと、2~3年は身動きがとれません。」
「このつぶれた店の前の道。せめて、どの程度かさ上げして、どの程度の幅員にするのかだけでも役所で決めてくれれば、あとは自分達で店を再建するのに---」
この声は、どこまで届いているのだろうか。
最後に、できるだけ早く地元の商工会議所等を通じて、被災された商店主や事業主の皆さんに集まってもらう会合を持つことを約束して、気仙沼を離れました。
せめて、このがれきの残る海岸近くにテントでも張って、国会や政府の関係者が陣頭指揮をとっていたら、被災者の皆さんの気持ちも違うだろうにーーーと思いながら。
平成23年(2011年)6月 |