『松下政経塾初の首相誕生』
2011年9月2日16:10:00
■4半世紀前の『62プロジェクト』
昭和62年4月の統一地方選挙に向けて、当時、私の在塾していた松下政経塾において「62プロジェクト」という研修が組まれました。
政経塾として、初の大型地方選挙を迎えるにあたり、統一地方選挙に向けて活動している諸先輩の事務所に、現役塾生が政治実践研修に赴くというものでした。
よくよく考えてみると、もう四半世紀も前の出来事になります。
この「62プロジェクト」が、ちょうど野田佳彦さんが千葉県議会議員選挙に初挑戦した選挙です。
他の候補者には、神奈川県議会議員選挙に初挑戦した松沢成文さんなどの先輩方も。
■「野田学校」のスタート
当時、現役塾生だった私は、政経塾の地元・茅ヶ崎から神奈川県議選に立候補した先輩の事務所で実践研修。
私の同期や後輩の多くは、船橋にある野田佳彦さんの事務所に実践研修に。
数ヶ月間の研修を終えての、実践研修報告会。野田さんの事務所から帰ってきた仲間が、高揚感に満ちた面持ちで、選挙での感動を語る姿に、野田さんの人となりを見る思いでした。
数ヶ月間も、寝食をともにして選挙を支え、支えられる日々を送ると、深い信頼で結ばれた特別な関係が築き上げられるのです。
おそらく今回、野田さんの民主党代表選挙を支えた野田グループにも、この62年の選挙をきっかけに野田さんを支え続けてきたメンバーが多くいたことと思います。
この昭和62年が、野田さんの政治活動の原点であり、24年間続く毎朝街頭演説のスタートでもあり、私達後輩も、徒手空拳でも志さえあれば日本を変えられるとの思いを固めることのできた、いわゆる「野田学校」のスタートだったように思います。
■この人が首相になったら、日本は変わるだろうな!
これまでそっと胸の中にしまっていたのですが、実は政経塾創成期の先輩方の中で、「この人が首相になったら、日本は変わるだろうな!」と心ひそかに思ってきた方が3人います。
ちなみに、私は7期生、前原誠司さんは8期生ですので、創成期といえば“政経塾が海のものとも山のものともわからなかった”まさに1期生・2期生を中心とした先輩方です。
そのうちのお一人が、もちろん野田佳彦さんです。
人格・識見はもとより、ぶれずに信念を貫く姿勢、一度やると決めたらやり抜く姿勢、忍耐強く物事を進める姿勢、25年間本当に敬服しながら後姿を見てきました。何よりも今、日本のトップリーダーに求められている姿勢のように思うのです。
私は政経塾の後輩でもあり、あまりにも長いので、過大評価分を差し引いていただくとしても---いずれにしても、「この人が首相になったら、何かが変わる!」ということだけは、早晩ご理解いただけるのではないかと思います。
■野田新代表選出の一報
実は、野田新代表選出のニュースは、滞在先のUAE(アラブ首長国連邦)で知りました。
ちなみに、日本との時差は、5時間。
UAE第2の都市・ドバイのホテルで、朝食後に部屋に戻ると、iPhoneに多くの方からのメッセージが残されていました。
「政経塾初の総理、おめでとう。みんなで、野田さんを支えて頑張って!」
代表選のゆくえは、かなり気にはなっていたのですが、留守電の声の後ろから、野田新代表選出を報じるニュースが流れていて、その留守電で民主党代表選の結果を知ったような次第です。
最初に電話をいただいたのは、政経塾のお膝元・茅ヶ崎から、それも昭和62年選挙で、まさに寝食をともにして戦った方からでした。
25年間、まさに政経塾からの総理誕生を待ちわびてくださっていたようでした。
■政経塾時代の恩師からのメール
野田佳彦さんの選出を予期するかのように、当時の上甲晃・塾頭から当日朝、このようなメッセージが‐--。
松下幸之助は、晩年、「日本の国はこのまま行ったら、やがて行き詰る」という強い危機感を持っていました。
「なぜ、このまま行ったら日本は行き詰るのか?」。私はある時、松下幸之助に、ずばり質問をしたことがあります。答えはまことに明快でした。
「日本には、国家百年の計が無い。百年掛けて、こんな日本を創ろうではないかといった大きな思いが無い。みんな、その日暮らし。目先の利益に追われ、自分の利益だけに追われているから、やがて日本は行き詰る」と言い切りました。
数年前、野田さんが座長になって、政経塾の政経研究所で「国策研究会」 という勉強会を立ち上げたことがありました。
まさに、「国家百年の大計」を創るべく、立ち上げた勉強会。
毎回全出席、膨大な事前資料の読み込み…野田座長のあまりの厳しい姿勢に、参加をためらった自身が、今となっては情けない思いでいっぱいです。
■ドバイでも、日本を心配する声が‐‐‐
リーマンショックで大きな打撃を受けたドバイ。
その影響で、アラビア海の上に浮かぶ人工島、パーム・アイランドなどの大規模建設が一時期ストップし、人口の8割ともいわれる外国人労働者がドバイから離れつつあると、日本でも大きく報道されたことがありました。
しかし、パーム・ジュメイラと呼ばれる人工島の中心部では、ホテル建設や別荘分譲などが再開され、ドバイ全体も着実に経済成長が戻って、大きく活気を取り戻しているというのが実感です。
ラマダン、いわゆるイスラム暦の第9月が明けたのが、今年は8月29日。
日中の飲食等が禁止され、禁欲的ともいえる一ヶ月間を送ってきたイスラム教徒が、ラマダンが明けるとフェスティバルと称して、一斉に街に繰り出します。
8月30日、ラマダン明けのドバイ・ショッピングモール。
アラブ諸国からイスラム教徒がドバイに集まり、そのドバイの中でも最もにぎやかといわれるモール。
一年で最もにぎわう日とはいえ、モールから買い物帰りのタクシーに乗るのに2時間超。海岸近くの施設も、入場制限するほどの盛況ぶり。
やっと乗れた帰りのタクシーの中でも、地震後の日本を心配する声が。
アラブ人のみならず、スリランカ人、バングラデッシュ人、インド人等々、多くの外国人労働者からも日本を心配する声が聞こえてくるのです。
■税金も社会保険料もないドバイ
ちなみに、ドバイは税金なし。
社会保険料もなし(ただし、外国人は診療の都度、50DHS(約1100円)支払)。
地元のアラブ人給与所得者の月収は、およそ50万円。高収入なうえに、税金がかからないので、可処分所得は日本より相当高くなっています。
石油の恩恵とはいえ、やはり税金のないことがどれだけ国民生活を豊かにするかということを強く感じざるを得ません。
ここドバイでも、中国の勢いには驚くばかり。
古くからのイギリス・ドイツからの観光客数を勝る勢いで、中国人観光客が急増しているのです。
私の宿泊するホテルでは、宿泊客のなんと50%が中国人。イギリス・ドイツ・インド・日本が10%程度とのこと。
ホテルに、バスをチャーターして中国人が大挙して乗りつける姿を見るにつけ、残念ながら国の勢いの違いを感じてしまうのです。
■財政再建・経済成長・復興増税‐‐‐
野田新首相は、「将来世代に負担を先送りしない」と復興増税を決断されるでしょう。
また「経済好転を条件に、財政再建と成長を両立」としつつも、基本的には消費税増税に踏み切られることと思います。
そもそも、松下政経塾が創設された原点のひとつは、松下幸之助翁が提唱した『無税国家論』のあくなき探求。政経塾生に託した大きな想いのひとつです。
企業にとっては無借金経営がベストであるように、国家も財政赤字を解消して、いつの日か無税国家を目指して欲しい、との祈りともいえる構想です。
野田新首相が、一時期の増税に踏み切ってでも『財政規律重視』にこだわるのは、間違いなくこの原点があるからだと思います。
図らずも、無税のドバイで野田新首相誕生の報に接した縁を深く感じつつ、そして税の負担なく再び急成長しつつあるドバイの街並みを見ながら、このメルマガを皆様にお届けしています。
長年、野田さんの後姿を見ながら、同じ志を培ってきた後輩の一人として、些かなりともお役に立ちたいと誓っています。
平成23年(2011年)9月
山 崎 泰