運と愛嬌―松下幸之助翁と野田総理(12月号)
2011年12月6日14:58:00
11月27日、松下幸之助翁生誕の日に開催された、松下政経塾塾員会総会。
場所は、ANAインターコンチネンタルホテル地下1階。
午後5時前、懇親会会場の入り口付近で、昔懐かしい同志と話をしていると、回りをSPに囲まれながら、野田総理がエスカレーターに乗って降りてきました。
総理大臣になられてから、私も初めて野田先輩にお目にかかりました。
もちろん総理ですので、立派な来賓といえば来賓なのですが、そこは政経塾。
あくまでも塾員を代表しての塾員報告という形で、野田佳彦・塾員が紹介されます。
年末から来年にかけて、激動が予想される日本。
この国のトップリーダーが、
『何に悩み』
『何を支えに』
『何を考え』
『何をしようとしているのか』
出身母体でもある私達の席での、総理の本音かつ率直なスピーチを、そっとご紹介することで、この国の未来を考える『絆』を深めることができれば嬉しい限りです。
■とても『愛嬌』のあるほうでは…
松下幸之助塾主は、塾生を『運』と『愛嬌』で選んだと言っていましたが、私はとても『愛嬌』のあるほうではありません。
野田さんはご自身でも「どじょう」と称されているように、古くから野田さんの風貌を知り尽くしているOBは、大きくうなずきながら大爆笑!
そこは、笑うところではありません。
野田さんが、生真面目な顔で旧知の仲間を諭すと、またもや大爆笑!
■ もっとも政治家に向いていない
政経塾に入って、カルチャーショックでした。
同じ1期生の中には、弁舌さわやかな人、スピーチがうまい人、いろいろな人がいて、違和感ばかり。
ここで5年間やっていけるのだろうか。
カリキュラムはないし、田野畑村でのサバイバル研修、今は消えた研修ばかり。
夜思うと、将来、大丈夫なのかなとしか考えていなかった。
もっとも政治家に向いていないうちの一人が、私だと思っていました。
確かに私も、都会から隔離されたような茅ヶ崎・政経塾寮室の固いベッドに横たわり天井を見ながら、「将来、どうなってしまうのだろう‐‐‐」と漠然とした不安感でいっぱいになったのを、今でも覚えています。
■ふとした『運』の積み重ねで、ここまで…
昭和58年の同期生の県議選で、8ヶ月間運動員として働きました。
ひとつひとつの選挙を、みなが歯を食いしばって支えた時代でした。
昭和62年、政経塾を出た以上は、一回、痛快に選挙をやるしかないと思って、無所属で千葉県議選に挑戦。
いただいた18707票、決して忘れるものではありません。
ブログ9月号でもご紹介しましたが、私が政経塾2年生の時の「62プロジェクト」。
この統一地方選挙の結果次第で、政経塾の運命が決まるという決戦。そんな想いで、本当に不眠不休で必死になって先輩の選挙を手伝ったことが、今の私達の原点です。
あの時の、野田さんの演説、さわやかな戦いぶりは、今でも私達後輩の胸に、深く残っています。
以来、4半世紀。ふとしたことの積み重ねでした。
落選したこともありました。なんとか返り咲くこともできました。
これも奇跡であり、『運』です。
民主党代表選も、一時は当選圏外とまでいわれました。
決選投票で勝てたのも、これもひとつの『運』だと思っています。
1996年(平成8年)、野田さんが185票差で惜敗した後、新しい政治勢力を創ろうと夜な夜な勉強会を開いたこともありました。
今は、その時の同志が、官邸で、党で、そして国会内外で必死に野田総理を支えているのです。
■ 昭和21年と同じくらい厳しい状況
大変な時に、95代内閣総理大臣になりました。
復旧・復興・原発事故の収束、日本経済の再生、どれも大きな課題。
これを乗り越えていかなければなりません。
同時に、今の財政状況は、昭和21年並みの状況。
税収よりも、国債に頼らざるを得ない状況なのです。明治以来、統計をとっているが、昭和21年と同じようなことが起こっている、その中でやらなければならないことがいっぱいある。
まさにタイトロープをわたるような、大変に厳しい運営です。
欧州の経済危機も、対岸の火事ではありません。
財政規律が緩んでいると思われた瞬間に、イタリアは国債金利7%ですが、日本は3%台になった途端に、予算が組めなくなるのです。
ギリシャに端を発した信用不安は、イタリアだけでなく、フランスやドイツにも広がりつつあります。世界を揺るがしている欧州の債務危機は、巨額の財政赤字を抱え、予算を組むのに国債に頼らざるを得ない日本にとって、対岸の火事ではないと、心の底から思います。
消費税の引上げ余力があることが、日本の長期的な低金利の下支えになっているのも事実です。
年末から来春にかけての「社会保障と税の一体改革」「消費税増税準備法案」などの論議は、日本国内の財政再建のみならず、国内外市場、今後の日本経済、ひいては国際政治にまで大きく影響することが必至だと思うのです。
■松下幸之助塾主のいわれたことを決して忘れたことはない
そのような厳しい状況の中でも、やらなければならないことがいっぱいある。
これから、ヤマがいっぱいある。
江口克彦参議院議員からから怒られることは、とても悲しい。
しかし私は、松下幸之助塾主のいわれたことを忘れたことはありません。
江口克彦参議院議員は、松下幸之助翁の側近で、PHP研究所社長から参議院議員になった方。無税国家論を掲げた松下幸之助翁の理想はどこに‐‐‐との国会質問を受けた際の、野田さんの心境を語っておられました。
もちろん、国家百年の大計としては、無税国家、予算の使い切りを改めた税負担の少ない国家を目指すが、今は財政規律を重視しなければならないくらいに国家財政が危機的な状況にあるという想いから、「松下幸之助翁のいわれたことを、決して忘れたことはない」といわれているのだと思います。
■人生のなかで、いちばんハードな3週間
ここ3週間、人生のなかで、いちばんハードなスケジュールを経験しました。
毎週末は、重要な国際会議。
帰国すると毎日、国会審議。
それに耐えながら私は、政治は前進させなければならないと思っています。
でも、テレビで見ても近くで見ても、昔と比べて痩せていない野田さんを見て、長年の後輩からすると、まだまだハードスケジュールも大丈夫だなと密かに思ってしまいます。
それにしても、総理の口から語られる「政治を前進させる」というひと言、さすがに重く感じます。
他国との圧倒的な仕組みの違いを、痛感しています。
大統領制は、権限が強く任期がしっかりしていて、拒否権まである。
大統領制ではない2院制。かつ、ねじれている。
そのなかで物事を進めていく苦労。
イギリスは、2院制といえども実質的には1院制。
もっとも苦労しているのは日本だろうと思うのです。
だからこそ、丁寧に合意形成をしながら、難題課題を乗り越えていかなければならないと思っているのです。
■「良い仕事をしてくれたな」
天上の人となった松下幸之助塾主とお会いする時に、「良い仕事をしてくれたな」といっていただけるようにしたい。
松下さんは運と愛嬌で塾生を選んだといわれました。
私に『運』があるのなら、悪運ではなく「吉運」として、日本を切り開き、元気な日本をつくっていきたい!
私達、政経塾出身の会計人も、財政・税制に関する私的な研究会を創って、野田総理に提言しようという動きになりました。まさに、オール政経塾で良い仕事をしてくれたな、といっていただけるように。
■ 厳しい時代を乗り切るには、やはり「人財」
まだまだ、日本経済は厳しい状況が続くでしょう。
乗り切るには、やはり「人財」。
その意味で、松下幸之助翁が『運』と『愛嬌』あるかどうかを、自ら確かめながら面接した逸話には、示唆に富むヒントがあるように思えてなりません(残念ながら、直接面接は5期生までなので、7期生の私は、幸之助翁に運と愛嬌があると認めてもらった訳ではありませんが‐‐‐)。
『運』がないと、どんなに立派で優秀な人間でも成功しない。能力が多少欠けていても、何かこいつは運がいいな、というのを集めてくることが組織を成功させるコツだ、というのです。
『愛嬌』があれば、人に好かれ、人が助けてくれ、そういう人間は伸びていくというのです。長年、会社を経営し、人を使ってきたので、そのことは良く分かる、と幸之助翁はいうのです。
『運』と『愛嬌』をもって、衆知を集めることのできるリーダーとなりたいものです。
私も東京にいる時は、朝自宅で神棚と仏壇に手を合わせて出勤した後、お榊の水を替えながら事務所の神棚に向かいます。
数年前、伊勢神宮参拝時に、政経塾時代の恩師に「神棚に手を合わせるのは、我がことを祈るためではない」と一喝されてから、時にそっと社員さんの横顔を見ながら祈り続けています。
「今日も一日、社員さんが充実した一日を過ごせますように」
「今日も一日、顧問先様が充実した一日を過ごせますように」
「今日も一日、多くの皆様が健康で平和に幸せに暮らせますように」
今年もあと1ヶ月を切りました。
どうぞ充実した一年の締めくくりとなりますよう、心よりお祈りしております。
2011年(平成23年)12月
山 崎 泰