『倒れず、止まらずに走り続ければ---ハーフマラソンに挑戦』
2012年2月6日14:59:00
今年の1月も厳しい寒さが続きましたが、早いものでもう一ヶ月が過ぎて、2月を迎えました。
■1月のメインイベント
私にとって、毎年1月のプライベートなメインイベントは、新宿シティハーフマラソン。
初挑戦から3年目。
1年目は、10kmに挑戦。一夜漬け勉強ならぬ、一夜漬け走り。あまりにも事前練習できずに、当日信濃町駅から国立競技場まで走って、練習に替えたくらい無謀な挑戦。
案の定、結果は国立競技場に戻ってきたところで72分経過。規定時間の70分以内で走れずに、完走証ももらえず。
2年目は、雪辱を期して10kmに再挑戦。66分2秒で完走。でも40歳以上男子部門の459位、ほとんどビリ。
■3年目の今年は…
そして3年目の今年は、周囲の制止を振り切ってハーフマラソンにエントリー。
毎年一緒に10kmに参加してきたスタッフからは、心配を通り越して、ほとんど呆れられている状態。
だって私よりも若くはるかに速い彼らのほうが10kmで自重しているのに---またもや、あまりにも無謀な挑戦といった感じ。
とにかく、目標は高く。
50歳になった今年、ハーフマラソンを目指さなければ、50歳代のうちにフルマラソンに挑戦できない。
そんな想いだけで、ハーフマラソンに挑んだのです。
旧知の大会役員の皆さんからも、
「エッ、走るの?」「何キロ」
「ハーフです」「これからですよ」と、意気揚々と答える私。
ここまでは、良かったのですが…。
■1月15日、朝9時スタート
国立競技場を出て、一般道路へ。外苑東通り~新宿通り~明治通り。
まさに私の事務所のある地元でもあるので、沿道で応援していただける多くの方に出会います。
同じ四谷の商店街の皆さんからは、「頑張れよ!」と励まされ、交差点を渡るところまで付いてきて応援してくださる。
とても嬉しいのですが、(本当は苦しいのに)苦しい顔を見せることもできずに、作り笑いをしながら余裕のあるような顔をしながら走り過ぎる…これが、素人ランナーの私にとっては結構辛いのです。
ある国会議員の事務所の前を通ると、沿道に事務所総出で走る選手を応援していました。
私を見つけると、ビックリしたような顔をして「あれっ、何だ」という声が聞こえてきます。
「何だはないだろう、一生懸命走っているのに…」こんなひとり言をつぶやきもしていました。
苦しいながらも、生まれ育った新宿の街の景色を、自分なりに楽しみながら走っていました。
■倒れず止まらずに走り続ければ、必ずゴールに!
私がマラソンに挑もうと思った理由のひとつ。
それは…
倒れず止まらずに走り続ければ、いつか必ずゴールに着く。
走ってでも、歩いてでも、這ってでも、とにかくゴールに近づいてみせる。
人生のゴール、目標への歩みと同じ想いを抱いたからなのです。
このマラソンで倒れずにゴールに辿り着けば、人生も倒れずにゴールに辿り着く…
そうやって自分を鼓舞しながら、走るのです。
■最大の誤算、関門時間との戦い
しかしながら、私にとって最大の誤算は、このハーフマラソンには関門時間という時間制限があったことでした。
制限時間2時間30分ということは承知していましたので、とにかく2時間30分で帰って来れば…と思っていたのですが、途中に関門時間なるものがあることを、当日(それまで事前資料を、あまり良く読まずに)、初めて知りました。
さらにさらに、慣れない寒さで途中トイレに立ち寄ったら、長蛇の列。これだけで、大きなロスで大失敗。
10km地点を通過して、「よしこれから!」と15km地点に向かう途中で、足切り(関門時間)に引っかかってしまったのです。あえなく、1時間50分くらい走ったところで足切り不合格。まるで、昔あった共通一時試験の足切りのよう。
歩いてでも、這ってでも前に進む覚悟でいただけに、情けなくて歯がゆくて、悔しくて、何ともいえない幕切れ。
■そして、もうひとつの大きな失敗
今年、私がしてしまったもうひとつの大きな失敗。
それは…全コースを、知らなかったこと。
ただ単に、事前資料をきちんと読みこんでおけば良かっただけのことなのですが、本当に恥ずかしながら全コースを知らずにスタートしてしまいました。
ゴールまでの道のりが、あとどのくらいあるのか分からない不安。
あとどのくらい頑張れば良いのか分からない不安。
どの道のりを辿って行けば良いのか分からない不安。
これもまた、人生と同じだと痛切に感じ、反省したのです。
人生の明確な目標がなく、なんとなく日々が過ぎていく(走っている)不安。
人生の目標を立てても、明確な針路を立てずに、ただ単に目標に近づきたいという不安。それでは近づけない現実。
目標への具体的な計画がなければ、あとどのくらいで目標に達するのか、皆目見当がつかない不安。
■「上り」「下り」坂を体得するマラソン
そして、いつも思い起こすのが、昨年もふれた江戸時代初期の陽明学者・熊沢蕃山の『集義和書』の一節。あらためてご紹介します。
順逆は、人生の陰陽なり。
死生は、昼夜の道なり。
何をか好み、何をか憎まむ。
順境(人生の上り坂)や逆境(人生の下り坂)などは、ただ単に人生の陰と陽、死生も昼夜が交互に来るようなものだ。
交互に坂が来るのは、当たり前のこと。
人生の上り坂が良くて、下り坂が悪いなどということは決してない。
マラソンの最中は、下り坂になると、いつ上り坂に変わるのかが気になり、逆に上り坂になると、この上りがいつまで続くのか、「上り」「下り」をとても意識しながら、この坂をどう乗り越えようか、と考えながら走るのです。
まさに、下り坂が良くて、上り坂が悪い、ということでも何でもありません。交互に坂が来るのは当たり前のこととして、動ぜずに淡々と走るのが本当に強いランナー。
この点も、人生に深く通ずるものを感じざるを得ません。
■『順境よし、逆境またよし』
松下幸之助翁が生前に語った、有名な言葉です。
マラソンでいえば、「下り坂よし」「上り坂またよし」です。
私自身、マラソンの速度は、亀のように遅いのですが、マラソンは、人生を考える貴重な勉強の場を私達に提供してくれているように思えてなりません。
「人生勉強などと言っている前に、もっともっと走り込め」って、そんな厳しい声が聞こえてきそうですが…。