『解散総選挙へ』~人は自分で選んだ者たちを信じていない???~
■ めったに読むことのない朝日新聞・・・
正直言って、めったに読むことのない朝日新聞なのですが・・・(朝日新聞愛読者の皆さま、申し訳ありません)
9月中旬、出先から東京へ戻る車中で、日経新聞・読売新聞・毎日新聞・産経新聞そして朝日新聞・・・と、複数の日刊紙を抱えて乗り込みました。
そこで、ふと目に入った、朝日新聞の論説。
思わず、そうだよな~~
まさに、今の政治を言い当てているな~~
と、思わず膝を打ってしまった一文なのです。
今の政治、国会に、警鐘を鳴らすかのような記事!
「早期解散・総選挙か」と、ちょうど大きく新聞一面に載った朝刊を開いた3面の社説だったこともあり、よけいに強く、深く心に残りました。
(つづく)
正直言って、めったに読むことのない朝日新聞なのですが・・・(朝日新聞愛読者の皆さま、申し訳ありません)
9月中旬、出先から東京へ戻る車中で、日経新聞・読売新聞・毎日新聞・産経新聞そして朝日新聞・・・と、複数の日刊紙を抱えて乗り込みました。
そこで、ふと目に入った、朝日新聞の論説。
思わず、そうだよな~~
まさに、今の政治を言い当てているな~~
と、思わず膝を打ってしまった一文なのです。
今の政治、国会に、警鐘を鳴らすかのような記事!
「早期解散・総選挙か」と、ちょうど大きく新聞一面に載った朝刊を開いた3面の社説だったこともあり、よけいに強く、深く心に残りました。
(つづく)
■ 『無関心と呼ばれる政治不信』
タイトルは、『無関心と呼ばれる政治不信』。
朝日新聞の大野博人・編集委員による論説「日曜に想う」(2017年9月17日)でした。
大阪商業大学のJGSS(日本版総合的社会調査)研究センターが、
定期的に行っている、世論調査の最新結果。
社会に影響力を持つ15の組織や仕組みへの信頼感を問うものです。
「とても信頼している」
「少しは信頼している」
「ほとんど信頼していない」
「わからない」
以上の4つの選択肢が示されて、
そのうち「とても信頼している」「少しは信頼している」という、
”信頼に肯定的”な前2者の選択肢を合計した結果が示されています。
■ 人は自分で選んだ者たちを信じていないー
「とても信頼している」「少しは信頼している」と答えた人の合計の割合を見ると・・・
「病院」は90%前後
「新聞」は80%台
「学校」は70~80%台
「裁判所」「自衛隊」「警察」「金融機関」「テレビ」は70%台
「学者・研究者」は約70%
「中央官庁」「労働組合」は40~50%
そして・・・
「国会議員」30%弱
「宗教団体」と続く・・・
と紹介した後、調査結果をこう総括しています。
あきらかに人々は、自分たちで選んだわけではない人たちの方を信頼している。
■ 『信頼していない人たち』が作った制度を、『信頼している人たち』が支える
選挙とは本来、間接民主主義のもとで、自分たちが信頼できる人を選び、
大切な国の行く末や税の仕組みを託す場であるはず!
自分たちが選んだにもかかわらず、
実は『信頼していない人たち』が作った、この国の様々な制度や
税の体系、さらには外交などを、『信頼されている人たち』が、
必死になって支えながら運用しているーー
残念ながら、今の日本というのは、こんな構図なのでしょうか。
『選ぶ』ということは、いったいどういうことなのだろうか?
『選ばれる』ということは、どういうことなのだろうか?
■ どうしても、腑に落ちないこと。。。
先の論説は、論説をこのように締めくくります。
民主主義では選挙こそが正統性の根拠だ、とだれでも考える。
だがその結果、人々がもっとも信頼していない者たちが、
民主的な正統制を独り占めすることになるのだとしたら。
奇妙だと思う。 そして、このことは腑に落ちない。
選挙近くになり、政治不信をも煽りかねない論説には、
時として賛同できないときもあるのですが。。。
今回だけは、私自身も「腑に落ちない」と、心底思っています。
解散風が吹き始めるなか、国民の信頼を貶めるような、国会議員のドタバタ劇。。。
大切な選択の場が、決して『ドサクサ紛れ』の選挙にだけはならないように・・・
さらにさらに、国会議員の信頼を貶めるような場にならないように・・・
と、心から願ってやみません。
平成29年(2017年)9月
山 崎 泰
タイトルは、『無関心と呼ばれる政治不信』。
朝日新聞の大野博人・編集委員による論説「日曜に想う」(2017年9月17日)でした。
大阪商業大学のJGSS(日本版総合的社会調査)研究センターが、
定期的に行っている、世論調査の最新結果。
社会に影響力を持つ15の組織や仕組みへの信頼感を問うものです。
「とても信頼している」
「少しは信頼している」
「ほとんど信頼していない」
「わからない」
以上の4つの選択肢が示されて、
そのうち「とても信頼している」「少しは信頼している」という、
”信頼に肯定的”な前2者の選択肢を合計した結果が示されています。
■ 人は自分で選んだ者たちを信じていないー
「とても信頼している」「少しは信頼している」と答えた人の合計の割合を見ると・・・
「病院」は90%前後
「新聞」は80%台
「学校」は70~80%台
「裁判所」「自衛隊」「警察」「金融機関」「テレビ」は70%台
「学者・研究者」は約70%
「中央官庁」「労働組合」は40~50%
そして・・・
「国会議員」30%弱
「宗教団体」と続く・・・
と紹介した後、調査結果をこう総括しています。
あきらかに人々は、自分たちで選んだわけではない人たちの方を信頼している。
■ 『信頼していない人たち』が作った制度を、『信頼している人たち』が支える
選挙とは本来、間接民主主義のもとで、自分たちが信頼できる人を選び、
大切な国の行く末や税の仕組みを託す場であるはず!
自分たちが選んだにもかかわらず、
実は『信頼していない人たち』が作った、この国の様々な制度や
税の体系、さらには外交などを、『信頼されている人たち』が、
必死になって支えながら運用しているーー
残念ながら、今の日本というのは、こんな構図なのでしょうか。
『選ぶ』ということは、いったいどういうことなのだろうか?
『選ばれる』ということは、どういうことなのだろうか?
■ どうしても、腑に落ちないこと。。。
先の論説は、論説をこのように締めくくります。
民主主義では選挙こそが正統性の根拠だ、とだれでも考える。
だがその結果、人々がもっとも信頼していない者たちが、
民主的な正統制を独り占めすることになるのだとしたら。
奇妙だと思う。 そして、このことは腑に落ちない。
選挙近くになり、政治不信をも煽りかねない論説には、
時として賛同できないときもあるのですが。。。
今回だけは、私自身も「腑に落ちない」と、心底思っています。
解散風が吹き始めるなか、国民の信頼を貶めるような、国会議員のドタバタ劇。。。
大切な選択の場が、決して『ドサクサ紛れ』の選挙にだけはならないように・・・
さらにさらに、国会議員の信頼を貶めるような場にならないように・・・
と、心から願ってやみません。
平成29年(2017年)9月
山 崎 泰