有限会社 サステイナブル・デザイン

CSR(企業の社会的責任)のC(コーポレート)の意味(第1部・第2章・第2節)

26.03.24
4バリュー経営
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永続を目指し続ける~非上場・中堅・中小企業のための「持続可能な経営の設計技法」~
今回は、青字の部分です。

第1部:永続戦略としての4バリュー経営モデル(総論)(Plan)

1.非上場・中堅・中小企業にこそ必要・重要な「リスクと機会」のマネジメント

2. 会社の「社会●●性」が存続可能性を左右する
・「倒産理由第1位=販売不振」は本当か?

・CSR(企業の社会的責任)のC(コーポレート)の意味

・会社の「社会●●性」こそが持続可能な経営の本質

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2. 2 CSR(企業の社会的責任)のC(コーポレート)の意味


 前節では、「コーポレート・ソサエティ・フィット(CSF)」という考え方を提唱しました。
 「コーポレート(Corporate)」という言葉は、CSR(コーポレート・ソーシャル・レスポンしビリティ)にも使われています。企業の、団体の、組織の、会社の、などを意味する形容詞です。
 大きな会社では、管理部門/間接部門のことをコーポレート部門と呼ぶことが多いですね。部署名でいうと、総務・人事・経理・財務・法務・広報・IR・経営企画など。会社を組織として成り立たせ、運営できるようにするための機能を担う部門です。中小企業だと、細かく部署を分けられないので、ざっくり総務で全部、さらに零細企業になれば社長が全部を担うことになります。

 さて、CSRは通常、「企業の社会的責任」と訳されています。それでおかしくはないのですが、私は、ここは「法人の社会的責任」とした方がよいのではないかと考えています。それは、自然人の社会的責任」との対比で考えることで、「法人の社会的責任」特有の問題構造が明らかになるからです。

 自然人というのは、生きている人間のことです。実在です。本人ですよという証明書(戸籍謄本や住民票や免許証やマイナンバーカードやパスポートや在留許可証)がなくても、そこにその人がいれば、「いる」のです。

 法人というのは、バーチャル(架空・仮想)だけど、法律で、自然人と同じように権利を持ち義務を負うことを認められた存在です。認められてますよという証明書(登記簿謄本)がなければ、社長や社員と称する人が「いる」としても、本当にその法人が「ある」のかどうか、わかりません。

 本質的には、すべての会社法人がペーパーカンパニーといえるわけですが、それでどうやって社会的責任を果たすことができるのでしょうか?

 自然人(ここからは個人といいますね)の場合は、私たちがみな、大人になるまでに教わったような、そして自分が大人になってからはこどもに教えているような、行動規範を守ることですね。言うは易し、行うは難し、ではありますが。

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 弱い者いじめをしてはいけないよ
 嘘をついてはいけないよ
 盗んではいけないよ
 法律を破ってはいけないよ
 差別してはいけないよ
 人を傷つけてはいけないよ
 環境を汚してはいけないよ
 とにかく人様に迷惑をかけるようなことをしてはいけないよ
 人には親切にするんだよ
 公序良俗を守るんだよ
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とくに調べたり考えたりしなくても、このくらいは誰でもすぐに挙げられることだと思います。

 では、法人の場合は?

 実際に法人の活動を動かしているのは個人ですから、社会的責任を果たす個人の集まりであれば、法人もまた社会的責任を果たせるはずです。

 ところが、いちいちの例を挙げるまでもなく、不正行為や不祥事は後から後から、絶えることなく尽きることなく発生し発覚し続けていますね。20年、30年、40年、それ以上続いていた事案も少なくありません。

 そうした不正行為や不祥事の当事者となった個人は、全員悪人なのか?といえば、私は、そうではなくて、ほとんどの当事者は、善良な子であり、善良な親である人々なのではないかと思うのです。

 そうした人々が、「会社の人」になると、やってはいけないと知っていることに、そうと知りながら、手を染めてしまう、させてしまうところに悲劇があります。

 ゴルフボールでお客様のクルマをへこませたり、店の前の街路樹を切ったり枯らしたり、心の底から嬉々として内心の葛藤なしにできた人がいるとは思えません。

 私の場合、株主=自分、経営者=自分、社員=なしの「ひとり会社」ですが、それでもこういうことは生じ得ます。

 15年以上前ですが、その仕事を受ければ黒字決算になる、しかし、その仕事を受けることには社会的責任の観点からリスクがあるのではないか、経営者として考えれば受けるべき、個人として考えれば断るべき、という場面がありました。

 「機会とリスク」の天秤、どちらに傾けるべきか。たとえ「ひとり会社」であっても、個人の立場、法人の立場で判断に違いが生じ得るわけです。
 まさに、「右手に算盤、左手に論語、じゃあ究極、どっちとるの?」問題ともいえます。あなたなら、どうします?

 私の場合、結論、当時の判断は、「受けない」、そしてその期は「赤字決算」という結果でした。私個人の判断を優先させたわけですね。やっぱり、受けとけばよかったな、という気持ちがあったのは事実です。
 今でも、どうすべきだったかな、と思い返すことがあります。当時はコンサルタントというよりリサーチャーでしたので、あれかこれかの二者択一でしか考えられませんでした。結果、いってみれば「論語○で算盤×」だったわけです。

 ただ、タラレバではありますが、あれでもこれでもなく、それか!という解の出し方もあり得たかもしれません。リスクコントロールできることを確認したうえでその仕事を「受ける」、その仕事は受けないけれど他の仕事で「黒字にする」、など。
 「論語○算盤○」あるいは「算盤○論語○」ができれば、それに越したことはありません

 また、そのような状況で、もし、私とは別に社長がいて、社員は私1人で、その仕事を「受けろ」「業務命令だ」と言われたとしたら。果たしてNOと言えたか、言えたとしてそれが通るか、と考えると、どちらも疑わしいですね。

 結果、実は問題ない仕事だったなら結果オーライですが、そうでなければ、、、「何でやったんだ!」「誰の責任だ!」という話になります。これで担当者である私に責任がかぶせられたら、私は不幸ですね。

 ひとり会社、ふたり会社でもそうですから、もっと人数の多い会社では、さらに複雑化した人間関係の上で、様々な思惑と価値観が交錯する難解な問題となります。

 つまり、「法人の社会的責任」は、1人ひとりが善意の人であれば果たされるという単純な問題ではなく、立場・責任・価値観の異なる複数(往々にして多数)の個人の合意形成と合意履行の結果、可能になるわけです。

前節で
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コーポレート・ソサエティ・フィット(CSF):
会社(を構成する人々の考え方や行動)のあり方を、社会(を構成する人々の考え方や行動)のありように合わせこんでいくこと
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と定義しましたが、この前段の部分、「会社(を構成する人々の考え方や行動)のあり方」自体を、会社の中で合わせこんでいくことが必要なのです。

 

 それをどうやるかというルール・組織・運用が、すなわちガバナンス(統治)ということになります。どの会社でも苦労されているところだと思います。

 ちなみに「ISO26000社会的責任に関する手引き」では、社会的責任の中核主題を7つ示していますが、その一番目に挙げられているのがガバナンスです。

 そして、ガバナンスは何のためにあるのかというと、企業評価の文脈だと、社会の価値観とのズレによって企業価値を損なうリスクを回避軽減するためですが、これは「外向き」の話です。

 しかし本当は、会社の中の、善良な個人である1人ひとりの経営者や社員に、不本意な判断をさせ、不本意な行動をとらせた結果、不幸にしないためではないでしょうか。4バリューの同心円のど真ん中、「人生の幸福」に直結することだと私は考えます。

 会社の中の人をみたガバナンス、それが外(社会)からみてもズレていないとき、CSRという観点で、コーポレート・ソサエティ・フィット(CSF)が成立していると言える状態だと考えます。

 

あなたの会社は、論語で算盤できてますか?

 理想論だよね、現実は難しいよね、ではあります。実際私は、「論語○で算盤×」だったこともありますが、理想である限りは接近する努力を続けたい。
 いつ何時、難しい判断を迫られるときがあるかもしれませんから、そこで間違わないためには、自分・自社の判断基準をしっかり確立しておく必要があります。それはいつまでに?・・・常に「今でしょ」!

※CSRについての難しい解説は、JIS化されている「ISO26000社会的責任に関する手引き」をご覧ください。難しいです。