有限会社 サステイナブル・デザイン

「私」は何からできているか?そして・・・

26.03.23
後世最大遺物
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人は何からできているか?
「食べ物です」というのがシンプルな答えですが、
それは「身体」の話。
では、
「私という」人は何からできているか?
となると、どうでしょう?

「私という」人は何からできているか?

あまり難しい議論はできないし、
するつもりもありません。

いろいろなお考えがあると思いますが、
私は、単純に「長くやってきたこと」
ではないかな、と思っています。

私の「長くやってきたこと」、長い順に5つ。

1.酒

私の実家は小売酒屋でした。
食べ物も売っていましたが、酒屋ですからね、
メインの売上はお酒です。

で、その売上が我が家の収入であり、
その収入で買った食べ物(でつくってくれた母親の料理)で
私の身体がつくられたわけです。

よく勘違いされるので先に断っておきますと、
高校卒業まで、お店の棚に並んでいるお酒を
飲んだことはありませんでしたよ。
売り物ですからね。
それに、大学卒業まではあまり飲める口ではありませんでした。

飲めるようになったのは社会人になってから。
実家を出たのは社会人1年目の2月、22歳のときでしたが、
それから後は、現在に至るまでもっぱら飲むほう専門です。
ときどき、酒に飲まれてます。

若いころは、月30日のうち28日飲んでいたこともありましたが、
最近は休肝日を週に4日、めざしています。

現在57年(歳)。

実家の酒屋は10数年前に廃業したのですが、
心のどこかに、やっぱりお酒を売る側・提供する側に回りたい、
という気持ちがあります。


2.本

小学校低学年のころから本は好きでした。
図鑑とか工作本、伝記など。あと、地図帳。

しかし、決定的だったのは小学2年の冬、
休み時間のドッジボールに入れてもらえなくなったこと。

いつものように加わろうとしたら、
学年で一番体格の良かったK君が前に立ちはだかり
入れてあげないよ、と。
その光景はいまだに脳裏に焼き付いています。

今思えば、仲間はずれというかたちのイジメですね。
理由はわかりません。

しかし、当時の私は鈍感だったのか、あまり深く考えず、
入れてくれないなら休み時間どうするか、
教室にいてもしょうがないし、
と思って向かった先が図書室でした。

図書室に来るな、出ていけ、という人はいませんでしたから、
よい居場所になり、そこで本好きの友達もできました。
よく読んだのは推理小説、SF小説、歴史小説、
なぜか全然畑違いの雑誌「山と渓谷」などでしたかね。

ともかく、これが結果的に読書の量稽古になり、中学生以降、
学業成績に好影響が出たのかな、と思います。

そう思うと、(体育・音楽が苦手だったこととともに)
仲間外れにしてくれたK君には感謝しかありません

大学3年~老眼になるまでは毎年100-200冊は読んでいました。
読書歴50年くらい、ですかね。

最近は読むのが億劫で、がくんと減って、
積読(つんどく)が増えています。

3.ラグビー

ラグビーと出会ったのは中学1年生のとき。
たまたま、入った公立中学にラグビー部があり、
たまたま、幼馴染の1人のお兄さんがラグビー部員で、
「お前も来いよ」と誘われていったのが運の尽き、
というか始まり、というか。

体験入部するまで、ラグビーのラの字も
知りませんでしたからね。
いまだに、なぜラグビー部に入ったのか、
我ながら謎なんですね。
まあ、そのうち、わかるだろう、と思っています。

ポジションはフロントローと言って、
スクラムの最前列。
今思えば仲間外れのストレスのせいだったのでしょう、
中学入学時は肥満児でしたから、
おあつらえ向きのポジションではありました。

・・・で、詳しくは書けませんが、ときは1980年代、ザ・昭和。
TVドラマでいうと、最近では「不適切にもほどがある!」、
古くは「積み木くずし」に「スクールウォーズ」
な感じの部活をやりきりました。

中学の部活よりしんどい・キツイと思うことは
その後の人生でほとんどありません。
そういう意味ではGRIT(やりきる力)が
身についた3年間でした。

高校3年間はお休みしました(帰宅部です)。
それでも結局、高3になる春に膝を手術することになったので、
プレーを続けていたら、高1か高2で選手生命は終わっていたのかもしれません。

大学ではサークル、社会人ではクラブチームでプレー。
さすがにスクラムはもう勘弁と思ったので、
ポジションは、大学1年生の時に経験者です、バックスです、
と嘘も方便で10番(スタンドオフ)に転向しました。

スクラム地獄に比べたらバックス天国でした、本当に。

また、会社の先輩がタッチラグビーという競技
みつけてきてれたのでチームをつくり、その後、ラグビーと並行して
プレーヤー・レフリー・コーチ・競技団体役員として
18年ですかね、活動しました。

いずれも最後にプレーしたのは10年以上前ですが、
現在もラグビー観戦(しながらのビール)は欠かせません。

というわけでラグビー歴46年。
含む、お休み期間・ビール専門期間。

4.環境問題

大学4年、就職活動と卒業論文という、
避けて通れない問題がありました。

漠然とマーケティングに興味があり、
漠然と、●●研究所という名前の業界が
よさげと思っていました。

そんな4月のある日、ラグビーサークルの同級生
●●研究所の1つにOB訪問に行くというので、
俺も一緒に連れて行ってくれ、と頼んだのでした。

その帰り道の電車乗り換え待ちのホームで、閃きが走ったんですね。

マーケティングの行き着く先は・・・
もしかして・・・
・・・ごみじゃないのか!


このくだりは長くなるので、別にまとめておきました。
詳しくは、こちら↓をお読みくださいね。
サステイナブル歴35年の始まりは?
まるっとサステイナブル「まるサの男」

で、話を急ぐと、就職志望先は同じなんですが、
「ごみ問題を解決したい!」
「社会参謀になりたい!」
(ベストセラーだった大前研一さんの「企業参謀」からのパクリ、いえ、着想)
とか面接で言って、シンクタンク研究員として採用され、
卒業論文は「廃棄物問題の社会理論」と相成ったわけです。

そして、卒業論文のための文献調査をしている中で、
「サステイナブル」という概念との出会いがあったのです。
それが1990年、今から3周前の午年の夏のことでした。

それから、ごみ問題をきっかけに環境問題を中心に専門性を高め、
「サステイナブル」をライフワークにして36年。

あらためて昨年、「環境問題で苦しむ人のいない世界をつくる」と
使命を言語化しました(「環境菩薩」宣言

5.島

最後は「島」。
中学校の校名に「島」の字は入っていましたが、
それだけで、島生まれでも島育ちでも島ルーツでもありません。
島国ニッポン人ではありますが。

1996年3月、フィジーで開催された
タッチラグビーの大会に参加しました。
ちなみに3月といえば絶賛繁忙期です。

帰国してからしばらくして、
当時の部長から「西原、ちょっと来い」と声がかかったのです。

これは・・・
繁忙期に何やってんだと叱られるー!
と恐る恐る部長の机の前にいくと・・・
「お前、こないだフィジー行ったよな」
あー、やっぱり!叱られるー!

すると、予想外の一言が。
「フィジーのエコツーリズム担当しろ」と。

「はい?」

よくわからないままそのプロジェクトにかかわり3年間。
終わったなーと思っていた1999年、たしか秋口のある日。

今度はそのプロジェクトリーダーだった方から1本の電話。
「もしもしー」
「あー、西原君、今度はガラパゴスだからね!」

「はい?」

よくわからないままガラパゴスにかかわって
・・・今年で28年目!
今では勝手大使:「ガラパゴス諸島を守る大使」なのです。

また、ガラパゴスのプロジェクトにかかわる人の縁で、
島づくり人材養成大学講師を2007-2024年
(コロナで中止になった2020年を除いて)
17年間務めることになりました。

そんなこんなで、フィジーから数えて
島とのかかわりは30年ですね。

そういえば、卒業旅行一人旅の行先に選んだのが
佐渡島でした。これも謎なんですけどね。

日本の島めぐり、世界の島めぐり、したいですね。

「まるサの男」の恩返し

さて、これでもだいぶ端折ったつもりですが
長々とお付き合いいただいたのは・・・

・・・
・・・
・・・

これまで心に秘めていた
大きな夢、大きな志をお伝えするための
伏線でした。

心の中では構想20ー30年になりますが、
文字にして人に伝えるのはこれが初めて。

私の残り人生で成し遂げたいことの1つが、
自分を育ててくれた、この5つへの恩返しなのです。

具体的には、
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1.健全な酒文化継承の場
2.教育学習・能力開発の場
3.ラグビー(をはじめとするフットボール)振興の場
4.環境保全実装の場
5.(日本と世界の)島振興に貢献する場
----
となる、「クラブハウス付きスポーツフィールド」を
つくり、運営したい、と思っています。

自分が死んだあとも、存続し続けられる組織と
財源/ファイナンスの仕組を残したい、と思っています。
結果、これは次世代、さらにその先の世代への恩送りにもなります。

ラグビーやタッチラグビーの試合や大会のために
オーストラリアやニュージーランドに出かけた時に、
痛切に感じたのです。

カチカチ・デコボコ・ザラザラの土や砂のグラウンドすら
確保するのが容易ではなかった日本のラグビー環境。
トップチームの環境はかなり整備されてきましたが、
底辺はまだまだ。

一方、彼の地には、グラス(草)のグラウンドが何面もあり、
クラブハウスがあり、ビールが飲める。
(試合に勝てないチームの唯一の楽しみはビールです)

「あー、こんな場所が日本にあったらいいのにな!」

いつかできてくれたらいいな、が、いつしか、
もし、自分がつくるなら、に変わり、
・・・
・ラグビー強国のワイン・ビール・ウイスキー・ラム酒、
・世界と日本の島の酒をとりそろえて、
・できれば地ビールの醸造所もあって、
・敷地内にオーガニックファームもあって、
・地産地消の料理が食べられて、
・敷地内でサーキュラー(有機資源循環)、
・再生可能エネルギー100%自給自足、
・建物はカーボンマイナス、ユニバーサルデザイン、
・屋内練習場にワークショップスペース、ライブラリー、
・スポーツでも教育研修でも合宿所として使え、
・フィールドはラグビー場3面(タッチラグビーなら6面)、
・外周にはランニングコース、
・運動会などの屋外イベントもできる、
・防災資材・備蓄倉庫、地下には雨水タンクを備え防災/避難拠点にもなる
・敷地200m×250m(5ha)のフィールド
・・・
・・・
・・・
時々、そんな妄想をしているわけですが、
これを実現出来たら、ドラマでいえば
すべての伏線回収コンプリート!
「まるサ」の男冥利につきます!

施設の名称は、サステイナブル・デザイン・フィールド、
運営組織の名称は、サステイナブル・デザイン・ファウンデーション、
どちらも略したらSDFの予定です。

この妄想、面白そうだな!
と思う方がいらっしゃったらお声がけください!
このためなら、スクラム組みます。

次の午年(2038年)までには、実在に!