組織と社員がパートナーになるための給与決定プロセス
私が考える米国型ノーレイティングの課題は、下記の3つです。
① ある程度は実力に見合う給与が支払われている必要がある
② 管理職に高いスキルが求められる
③ 本質的には給与の決定プロセスが変わっていない
これまでに1番目と2番目を解説しましたので、今回は3番目について扱いたいと思います。
■ノーレイティングでも給与を決めるのは本人ではない
私が考えるノーレイティングの根本にある価値観とは、
「人は、自分で決めたことは情熱を持って行動し、その行動そのものが喜びとなる」
という「内発的動機づけ」の考え方だと思います。
内発的動機づけとは、外からの刺激によって動かされる(=外発的動機づけ)ではなく、自分の内から湧き上がってくる意欲によって行動することを指します。
一般的な人事制度に存在する「レイティング(=点数づけ・ランクづけ)」は、その内発的動機づけを阻害してしまうので、「レイティングを廃止しよう」というコンセプトを持つノーレイティングが生まれました。
この考えに私も共感しますが、レイティングを廃止しても、結局のところ給与を決めるのは「他者(上司)」という仕組み自体は変わっていません。
レイティングという目に見えやすいモノを、ブラックボックスに入れて見えにくくしたというだけです。
それでも、一定の効果はあると思います。
レイティングという要素を排除し、上司と部下のコミュニケーションのテーマを、「部下の査定」ではなく「目標達成のためのサポート」に集中できるようにする取り組みは、非常に価値のあることだと思います。
しかし、給与を決定するのは上司だという、給与の決定プロセスは変わっていません。
■給与決定プロセスに本人が参画する
たとえば、何か商品やサービスを販売するときに、売り手側が価格を決められないということは、ビジネスとして正常な状態ではありません。
もしそういう状態ならば、圧倒的に買い手側の力が強く、売り手側の意思が無視されているということであり、異常な状態であると言えるでしょう。
しかし、給与決定の場面では、その異常な状態が当たり前になっています。
このような状態では、組織と社員がお互いを尊重しあうパートナーになるのは、かなり困難だと思います。
組織側が圧倒的な力を持っている状況下で、組織と社員がパートナーになるには、組織側(経営者・管理職)に自分が持っている力を自制することが求められますが、そのような組織側の自制心に依存するような仕組みは望ましくありません。
また反対に、社員側では、「自分で給与を決められない」という構造によって、「組織側が自分のやる気を高めるべきだ」「自分のやる気が高まらないのは組織に問題がある」という論理にも、容易に発展していきます。
そこで私は、ノーレイティングの根本にある価値観を給与決定にも反映させ、給与決定に本人が参画するプロセスに変革する必要があると思うのです。
このことについては、次回に詳しくお伝えできればと思います。