ノーレイティングの社会的意義とは?
私は、これからの社会において、ノーレイティングはますます意義を高めていくと考えているのですが、今回は「ノーレイティングの社会的意義」について解説したいと思います。
◆人間の本質に根ざしたノーレイティング
かなり以前から、もっと正確に言うと1960年代後半から、心理学や脳科学の研究によって、外発的動機づけが創造性や主体性を奪うことは明らかになっていました。
ようやくノーレイティングによって、それらの研究結果が人事制度に落とし込まれることになりました。
私は、ノーレイティングの広まりは、人事制度が人間の本質に近づく第一歩になると考えています。
そして実際に、私が経営する生きがいラボでは、2010年から「社員さんに点数をつけない」「評価と給与を連動させない」というノーレイティング型人事制度を提唱してきました。
なぜ従来型の人事制度とはまったく異なる人事制度を提唱し始めたかと言うと、さまざまな心理学や脳科学の研究結果を考察した結果であり、人間の本質に根ざした人事制度でなければ、仕事を通して「生きがい」を感じられる環境づくりは難しいという問題意識を持ったからです。
◆ノーレイティングが必要となる2つの変化
この問題意識の背景には、2つの経営環境の変化がありました。
① 外発的動機づけ(金銭的報酬による動機づけ)が不可能になった
② 心の豊かさを求める傾向が強くなってきた
1番目は、経済の長期的な停滞によって、昇給や賞与によって動機づけすることが「物理的に」困難になった、ということです。
外発的動機づけというのは、効果が短期間ですので、常に与え続けなければなりません。
しかも、より強い刺激を与え続けないと、現状のモチベーションを維持することさえできません。
つまり、社員さんのモチベーションを保とうとすれば、昇給額(率)や賞与の増加額(率)を上げ続ける、ということが必要だということです。
これは、これからの日本では難しくなると考えられますから、外発的動機づけではモチベーションが下がるということです。
◆時代がノーレイティングを求めている
2番目は、物質的な豊かさが心の豊かさに直結しないことが、自殺や精神疾患の増加などを通して明らかになったということです。
物質的な豊かさとは、多くの場合には「他者との比較」によって生まれます。
自分の所得や生活レベルが高まったとしても、他者がそれ以上のレベルにいるならば、豊かさは感じられないのです。
金銭的報酬は、容易に他者と比較できますから、それを追求し続けても、永遠に「心」の豊かさは得られないのです。
私は、日本社会のなかで、意識的か無意識かの違いはあれど、そのことに気づき始めた人が増えてきているように感じています。
つまりは、社会全体が「内発的動機づけ」を求めているように感じています。
これら2つの理由から、「ノーレイティング」・・・言い換えると「内発的動機づけ」を喚起する人事制度への変革は、日本社会にとって有意義だと考えています。
また、実際にこれだけ「ノーレイティング」が話題になるということは、私と同じ考えの人がたくさんいるということだと思います。
しかし、話題になることが増えるにつれ、ノーレイティングへの「誤解」や「事実と異なる情報」も目立つようになりました。
次回は、この点について解説したいと思います。