タックル問題、本当に危険だったのは?
反則タックル問題が世間を騒がせています。
名門大学同士の定期戦で起きたこととはいえ、ここまでマスコミで大々的に取り上げられ、
スポーツ庁長官まで度々コメントするような事態になるとは、
当事者は夢想だにしなかったでしょう。
名門大学同士の定期戦で起きたこととはいえ、ここまでマスコミで大々的に取り上げられ、
スポーツ庁長官まで度々コメントするような事態になるとは、
当事者は夢想だにしなかったでしょう。
あり得ない反則タックルはなぜ行われたか?
私はアメフトではなくラグビー経験者です。思えば、5年ほど前、最後に出場した試合で
今回と同じようにパスをした後のレイトタックルを受けました。
横からですが、視界外からだったので察知することもできず完全無防備で、
肋軟骨にひびが入りました。
気持ち的には3秒も5秒もたってからでしたが、実際は1秒たらずだったんでしょうね。
ただ、もう、その瞬間は声も出せず、力が入らず、完全にやられっぱなしで、
しかも誰も見ていないので反則にもならず。。。
そういうわけで、今回のプレーはまったくもってあり得ない危険さであることを
身をもって理解することができます。
なにしろ真後ろからで、プレーヤーの体格ははるかに大きく、さらにかたい防具をつけて、ですから
私の場合と比べようもなく衝撃は大きかったはずです。
相手選手のけがは膝と腰椎で3週間の診断のようですが、ほんとに、よくそれで済んだと思います。
ことの経緯については、マスコミ等で多々報じられており、
プレーヤー本人、監督・コーチの会見も開かれたので
ここで繰り返しませんが、当初から私が気になっていたのは、
最初の反則タックルが、審判員の見ている目の前で行われた、ということでした。
通常、こんなことはあり得ません。
日常生活に置き換えるなら、警察官の見ている目の前で傷害行為を行ったのと同じです。
即逮捕されることは目に見えているのに、わざわざそんなことを行う人はいないでしょう。
これは、本人の記者会見により、やらざるを得なかった状況が明らかになりました。
「相手QBを1プレー目でつぶす」ことを監督に宣言したのに、
案に相違して1プレー目が終わったときには、その相手は10mも離れたところにいたのです。
「やらなきゃ意味がない」とまで念を押されていたので、「できませんでした」では終われず、
審判員の目の前だろうとお構いなく、まっしぐらに「やった」のでしょう。
もしかしたら、審判員は見れども見えず、だったのかもしれません。
ともかく、
そのあり得ないまでの決然たる姿が、強烈な違和感
となって印象に残ったのです。
何が彼をそこまで決意させたのか?と。
タックルが危険な反則行為だったことだけであれば、
それは競技上の不行跡(※)です。
※スポーツの競技規則における表現
競技規則に則った判定と処分を下すことで終わります。
「つぶす」という表現が、反則をすることや、けがをさせることを
意図した言葉として使われていたか否か、
記者会見は監督・コーチとマスコミの間で「言った・言わない」問答になっていましたが、
そこは問題の本質ではないと思います。
監督・コーチがそういう意図はなかったと言い、
ルールの中での厳しさを求めただけだと言っても、
彼ら(組織の指導者)が指導した選手(組織の構成員)が、
異常なまでの決然さで反則タックルを敢行してしまったわけです。
その結果責任から、組織と指導者は逃れられないはずです。
本当に危険だったのは、
彼があの試合で、「1プレー目で相手QBをつぶす」
以外の行動を選択できない組織だった、ということではないでしょう。
そこに、これほどまでに世間の耳目を集めることになった理由もあるのでしょう。
企業の不祥事に置き換えてみると・・・
この問題、企業の不祥事に置き換えて考えることができます。常々思うのですが、不祥事の当事者となった経営者や会社員の方々は、
極悪非道で倫理観がまったく欠如していた個人であるがゆえに、
あるいは自ら望んで嬉々として当事者になったわけではないでしょう。
今回のプレーヤーも同じです。
善良な個人、家庭では良き父母であり、良き息子娘であった人々が、
個人の価値観では絶対にやらないようなことを、
組織の一員という「立場」だと、やってのけることができてしまう、
やらせることができてしまうのです。
ここに、1+1=2ではない、組織の「マジック」があります。
この「マジック」がいい方に作用すれば、偉業を成し遂げることになりますが、
悪い方に作用すれば、不祥事につながります。
実をいえば、私のような「ひとり会社」でも、
自分個人としての価値判断と、「お金のためには」の判断が矛盾し、
どちらかを選ばなければならない局面は、あります。
個人の価値判断を優先し、業績が下がったこともあります。
お金を優先したばかりに、苦しい思いをしたこともあります。
ただ、「ひとり会社」なので、良くも悪くも100%自己責任で
意思決定することができます。
これが組織の一員の場合、良くも悪くも100%自己責任で
意思決定というわけにはいきません。
組織の一員としての意思決定は、自分だけでなく他の構成員にも影響を及ぼすし、
自分も他の構成員からの影響を受けているからです。
究極はCSRとガバナンスの問題
善良なる個人としての価値判断と、組織の一員としての意思決定が矛盾しないこと。それがCSRの本質ではないか、と考えています。
そうでなければ、その組織に所属すること自体が、個人にとって危険だし、
その組織は社会にとって危険な存在になり得るからです。
Corporate Social Responsibilityの
Corporateは、一般に「企業の」と訳されていますが、
自然人である個人との対比で「法人の」と訳すのが、より適切です。
法人も、個人と同じように社会的責任を負う善良な存在であるべし、
というのがCSRのシンプルな核心です。
これは、実はSRの内容を考えれば明らかです。
あらためて勉強するまでもなく、どの社会、どの文化でも、
大人になるまでに教わることばかりです。
例外が、ガバナンス(企業統治)と呼ばれる部分です。
ひとり会社なら自分一人の胸の内で済むことが、組織では済まないからです。
まとめ
今回、たった1人の、わずか2-3秒の、たった1つのプレー。数年前なら、ネット動画で拡散することもなく、
当事者以外、知る者もなく、社会問題化することもなく、
ひっそりと消えていた問題でしょう。
「天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」
ということわざがありますが、これをもじれば
「電網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさず」
そして、「蟻の一穴 天下の破れ」をもじれば
「タックル一発 天下の破れ」
この記事を最後までお読みいただいた皆様は・・・
「もって他山の石とすべし!」