作文が書けない小学生だった私が、本2冊・計2万5000部の著者になれた理由
実は私は、小学生の頃、作文や読書感想文が苦手でした。
原稿用紙2枚以上書いてね、のところ、1枚と1行で出して、
書き直しを命じられたりしました。
(紙としては2枚提出しているわけだから、いいでしょ?
と思ったんですが、先生から、ダメ~!書き直し!!)
それから50年(半世紀!)、今ではありがたいことに、
商業出版2冊、現時点で累計2万5000部発行の書籍の著者です。
しかも、「問題集」なのでこれからも増刷があります(たぶん!)
この50年の間に、いったい何がどうして、そうなったのでしょうか?
ちょっと振り返ってみたいと思います。
書けない・話せないこども、でした
私は作文や感想文を書けないだけでなく、
年賀状とか、サイン帳とか、ちょっとした
メッセージを書くのも苦手でした。
さらにいえば、人前で話すことも、ずっと苦手でした。
中学生の時に、教室であてられて、
何を問われたかは覚えていないのですが、
顔を真っ赤にして、何も言えずに立ち尽くして
泣いてしまったことだけを覚えています。
要するに、小中学生までの私は
書くにしても話すにしても
「自分の思考を言葉にする」
ことが、とても難しかったのです。
本を読むのは好きでしたし、苦でもなかったのですが、
読むと書く(話す)、インプットとアウトプットの間には、
大きく埋めがたいギャップがありました。
西原流「言語化術」第1原則:「いつも○つ」
それをどうにかしなければ、と思ったのが高校1年生のときでした。
とはいうものの、どうすればいいのかわかりませんでしたので、
ノートを1冊買ってきて、とにかく頭に思い浮かんだことを
書きつけていこうと思い立ちました。
いわゆる、一念発起です。
最初は、たった1文字を書くのに30分や1時間かかったと思います。
鉛筆をもって、ノートをじーっと見つめて、見つめて、見つめて、書けない。
書けても1日に1行か2行がやっと。
しかも自分で書いた文を読むと
自分が考えていたこととは違う、
としか思えませんでした。
一体どうしたら、自分の考えを思い通りにスラスラ書いたり、
ハキハキ述べたりできるのだろう?
ほんとうに、そんな日は訪れるのだろうか?
・・・そんな思いを抱えながらも「文字化」に悪戦苦闘していたある日。
ひとつの「発見」がありました。
スラスラ・ハキハキの人には当たり前で、
発見でもなんでもないのかもしれませんが、
それは、こういうことでした。
・・・
・・・
・・・
「一度に文字にできることは、一つしかない!」
・・・
どうでしょうか?
手書きでも、キーボードでも、1文字1文字書いていきますね。
話すときも、一度に発生できるのは一音ですね。
一文字一文字、一音一音を連続させていくことで、
単語になり、フレーズになり、文になり、文章になります。
それが思考を言語化することだ!とひらめいたのです。
言われてみれば、そりゃそうだ、
だからどうした?という種類の事柄ではあります。
ただ、頭の中ではいろいろな想念が駆け巡っているのに
いざ、文字にしようとすると、まるっきりできない
ことに苦しんでいました。
それは、いきなり「全部を一挙に言語化」
しようとしていたからであって、
それはそもそも不可能だった、
と気づいたのです。
これで急に気が楽になりました。
たった一文字書くのに苦しんでいましたが、
「一文字しか書けない」のは当たり前!
と思えたからです。
西原流「言語化術」第1原則:
「一度に文字化できるのは、いつも一つ!」
真実はいつも1つ、これです。
そして、これが「はじめの一歩」となりました。
西原流「言語化術」第2原則:「○○を整える」
第1原則に気づいたことで、決めたことがあります。
それは「美文を書こうとしない」ということです。
文豪やエッセイストみたいな文章が書けたらいいのに、
という思いはこの際、きれいさっぱり捨てて、
たどたどしくても、つまらなくてもかまわないので、
「自分の頭の中にあることを、なるべく忠実に文字化すること」
だけに集中することにしました。
美辞麗句、美文名文は捨てて「伝達」
だけでいいと割り切ることで、
ハードルを下げた、といえます。
すると、やるべきこともシンプルになり、
「自分の思考を言葉にする」上で大事なことは
「順番」だ!ということに気づきました。
2歩目です。
第1原則にしたがえば、1度に1字(音)、
それが連なって、連なって、
字(音)→単語→フレーズ→文→文章・・・
となって、ひとまとまりの文章や発言になっていくわけです。
書いた文字や発した音に意味があるか否か、
人に伝わるか否かは、ひとえに
その順序にかかっていることになります。
そして、意味が伝わったとき、思考が文字や音を通じて
言語化された、と言えるわけです。
これ、高校生当時はそういう言葉は知りませんでしたが、
「ロジカルシンキング」(論理的な思考)
の素だったと、今は思います。
ロジカル(論理的)であるということは、
突き詰めれば、「正しい順番」で言葉が並んでいる、
ということ。
「正しい順番」とは、人が読んで(聞いて)「理解できる」
ということ。
「理解できる」とは、言葉を順に追っていけば、書いた(話した)人と
「同じように考えられる」、ということです。
同じように考えられなければ、
「なんで?」「おかしくない?」「違うでしょ?」
・・・と思いますよね。
つまり、「理解されない」わけです。
さて、それはともかくとして、はじめの1歩・2歩が踏み出せたので、
3歩・4歩と続けることができました。
高校生~大学生にかけて、言語化セルフトレーニングを続けた結果、
美文名文・美字麗句が書けるようにはなりませんでしたし、
瞬発力のある会話もできませんが、じっくり考えれば
「自分の思考を整えて言葉にして伝える」
ことは、ある程度できるようになりました。
小学生や中学生のころから比べれば、大きな進歩です。
ちなみに、大学3年生の頃でしたか、当時のガールフレンドから
「西原君の頭の中はフローチャートでできているの?」
と(なかば呆れたように)言われるまでにはなりました。
もちろん、頭の中は混とんとしているのですが、
そう思われる程度に思考を整理して言葉にするスキルが
会話で使えるレベルで身についたわけですね。
西原流「言語化術」第2原則:
「言葉にする前に、言葉にする順番を整える」
なお、この方とのお付き合いは、
あえなく、はかなく、短命に終わりました。
私の行った言語化トレーニングは、恋愛上は有用ではなかったけれど、、、
卒業論文や社会人になってからの仕事など、実務上では有用でした。
なにしろ、今こうして文章を書けているのも、その成果です。
西原流「言語化術」第3原則:「○○して○○化する」
さて、この卒業論文、取り組んだのは1990年(平成2年)です。
今年は午年ですが、3周前・36年前の午年ですね。
当時、パソコンは一般には普及しておらず、
「ワープロ」(ワードプロセッサ)という、
現在でいえば、PCソフトの「ワード」機能だけを
搭載したような専用機で書きました。
「言葉にする順番を整える」といっても、
複雑な思考を頭の中だけで完結させることは困難です。
最終的に、B5判で108ページの卒業論文になりましたが、
「ワープロ」なしでは到底、書き上げることはできなかったと思います。
もう数年、生まれるのが早ければ、
大学生でも買える価格のワープロはなく、
手書きでは卒業論文を書き上げられない私は、
大学を卒業できなかった可能性が高いです。
大袈裟ですが、それも時の運、ツイてる、ラッキーと思いました。
そして、内容的には、この卒業論文、題して
「廃棄物問題の社会理論」
ですが、これが、私が現在「まるサの男」を
標榜することになる原点となりました。
(これについては、まとめた別稿がありますので、
よろしければそちらをご覧ください)
で、この「ワープロ」を使うことで可能になったのが、
①まず「思考の断片」を書き出して、
②それを見比べながら並べ直して、
③全体の構成を考える
という段取りです。
最近の言葉でいえば「思考の見える化」ですね。
文豪の遺筆原稿などをみると、
何百枚という原稿用紙に書かれた初稿に対して、
書き直し、追加、挿入、移動などの校正(赤入れ)が
行われています。
しかし、手書きだと、2-3度書き直したら、
もう原稿用紙はぐちゃぐちゃです。
それ以上の推敲・修正は困難です。
かといって、大量の文章を一から書き直すのは大変です。
そもそも、私には、いきなり原稿用紙に向かって
何百枚にもわたる文章を書き通すことは不可能でした。
しかし、「ワープロ」という当時最先端の利器を使うことで、
そのような分量であっても、「言葉にする順番を整える」
ことが可能になりました。
「ワープロ」で入力したフレーズ・文・文章は、
容易にコピペできるし、容易に書き直せます。
履歴を残したければ、上書き保存ではなく、
別名で保存にしておけば、
後で復活させることもできます。
(ブレーカーが落ちて、保存前のデータ、
数時間分の努力が消えたこともありましたが)
そこで、「ワープロ」の画面上で
①まず「思考の断片」を書き出して、
②それを見比べながら並べ直して、
③全体の構成を考える
の作業を繰り返していると、、、
「思考の見える化」の本質は
・要素(言いたいこと)の定義・明確化
・要素(言いたいこと)相互の関係の定義・明確化
・その結果、全体の構造の定義・明確化
だと気がつきました。
これを図にすると、たとえば「フローチャート」になるわけです。
西原流「言語化術」第3原則:
「図解して、構造化する」
曖昧な思考は、図解できません。
逆に、図解を試みることで曖昧な思考を整理することができます。
図解できたら、論理的に記述することができます。
実は、シンクタンクで教わったのも「まず、図を描け」でした。
そして、図解できない文章は、論理的ではありません。
論理的でない文章がよろしくない、ということではありません。
実務的なコミュニケーションという文脈では、
誤解・曲解、クレーム・トラブルの原因になってしまいます。
あくまで、その文脈の中での「言語化術」だということで、ご理解ください。
生成AI時代だからこそ必要なリテラシー
ここから先は端折ります。
どうにか無事大学を卒業した後、
シンクタンク研究員として約12年勤めることになりました。
作文を原稿用紙1枚と1行でごまかそうとしていた小学生だった私が、
毎日その何倍・何十倍・何百倍もの文字を大量生産する仕事についたわけです。
日々、大量の企画書、メール文面、打ち合わせ資料、
会議資料、発表資料、報告書等々を生産することになりました。
独立した後も同じです。
そしてついには、noteの毎日投稿がきっかけとなり、
出版の話が舞い込んでくることになったのです。
重要なのは、元々、書くこと話すことが苦手だったおかげで、
どうすればスラスラ書けるか、ハキハキ話せるか、
訓練可能な技術として自覚化できるようなったことです。
その基本的な部分を僭越ながら西原流「言語化術」として
ご紹介させていただきました。
生成AIを使えば、今更そんな技術は不要のように
思われるかもしれません。
ただ、やってみた方はお分かりのように、
インプットする言葉遣いのちょっとした違いで、
AIが生成するアウトプットが大きく異なってしまいます。
そして、生成AIにもテレパシー能力はありません。
文字か音声で適切なインプットを
しなければ、生成AIは使えないのです。
生成AIを誰でも使える時代になってきましたが、
だからこそ、自前の「言語化能力」を
磨くことが必須不可欠ではないかと思います。
・・・
・・・
だいぶ長くなりましたので、今回はこのあたりで。
もし、続きにも興味がある、という方がいらっしゃったら、
ぜひ、こちらのフォームからご感想・コメントをお願いします。
ニーズが多いようでしたら、「言語化術」の続きも
「言語化」していきたいと思います。
さしあたっては、、、
第4原則:「○文で書く」
第5原則:「○○詞の使用は最小限」
といったところかな、と思います。