ジャカルタ訪問
2012年1月から所長の大橋より、その時々の話題をお届けするコーナーです。
厳しい経済状況が続き、来るべき時代をどう予測すべきなのか本当に難しい判断を迫られる昨今です。経営者をはじめとする読者の方々に、この難局を乗り切るヒントとなるような話題がお伝えできればと思います。
是非ご一読下さい。
先日インドネシアのジャカルタを訪れる機会を得た。もともとはお客様である㈱トライ・カンパニーの山梨専務から「ジャカルタは今熱いですよ。あの狭い島に日本の倍の2.4億人もの人がいて、どこからこんなに人が出てくるのだろうと思うほどです。」と聞いたのがきっかけで、仕事の一段落した6月の初旬に山梨専務の仕事に同行させて頂いたのである。
ジャカルタはインドネシアの首都でジャワ島の東部に位置しており、近郊を含む都市的地域の人口は世界第二位だそうだが、なかなか日本になじみが無いのはジャカルタ近郊に観光名所がほとんどないため一般的には訪れる機会がないからだろう。確かに飛行機内もほとんどがビジネスマンで、ただ一人ラフな格好で入国審査を受けた私は入国管理官の質問にあい慣れない英語でなんとか入国を許された。
都市部はまだ地下鉄、鉄道などの輸送インフラが無く、近年の車両の増加ベースに道路整備が追いついていないので慢性的な交通渋滞でどこに行くにも時間が読めない。またどこでもバイク、バイク、バイクで、その二輪車の保有台数は中国、インドに次ぐ世界第3位を誇るそうだ。このバイクだがなんと日系メーカーがそのシェアの99%を占めている。親日的な国民性に加え、消費者間で日系メーカーへの信頼感が長年にわたって醸成されてきたことによるらしいが、日本から7時間も離れたこの都市で日本メーカーがここまで台頭しているのには驚かされた。
さらにびっくりしたのがインドネシアは超がつくほどの親日派であることである。過去にインドネシアはオランダにより約350年にも渡る圧政のもとで支配をされてきたが、20世紀中旬の大東亜戦争勃発を契機に、日本兵の落下傘部隊が凄まじい勢いでインドネシアを進撃し、植民地支配をしていたオランダ軍をわずか9日間で陥落させ、その後も日本がインドネシア独立まで共に独立戦争を戦い抜いたという建国の逸話がこの親日の大きな背景となっているそうだ。
ジャカルタに在住している日系の中小企業連合会の白石さんのお話によると、40年間の在住期間でこの2~3年の経済成長がもっとも著しいそうで、経済成長に伴い所得水準が上昇(1人当たりの名目GDPは3,500$を超えた)し、耐久消費財の販売が加速度的に増えているそうだ。まだインドネシアにおける耐久消費財の普及率は冷蔵庫が約50%、洗濯機・エアコンに至っては25%程度で、その市場の成長には大きな余地がある。また今後は自動車の販売も爆発的に伸びることが期待されているようだ。
この成長著しい市場へ日系の企業の進出が進んでいる。ジャカルタ市街から延びる幹線高速道路沿いのカラワン地域には日系企業が工業団地をどんどん開発し、家電、四輪などのメーカーが今まさに建設ラッシュといった感じだ。ただ進出企業への制約は年々厳しくなり、数年前には1000万円程度の資本でも現地法人を立ち上げることが可能だったのが、現在は4000万ほどの資本が必要とされる。また中古機械や完成品に関する輸入制限や最低賃金の急激な引上げなど進出企業を取り巻く環境の変化は著しいようだ。
ジャカルタに比べると我々の住む日本は本当に豊かである。交通をはじめとする生活インフラは全て整い、物にも不自由することはない。その豊かさゆえに国内経済は停滞し、企業は活躍の場をこうした新興国へ移していくのだろうと実感した。日本国内では味わえない経済成長の過程にある国の力強さに触れ、圧巻されたジャカルタ訪問だった。
いつも海外に同行させて頂くと思うのだが、海外で活躍するにはタフな精神力と体力が求められる。慣れない旅のせいか帰ってきてしばらく疲れが抜けなかった私だが、ご一緒した山梨専務はそのままバンコクへ…そのバイタリティにはつくづく関心をさせられた。日々同じ環境で仕事をしている私だが、環境の変化にも耐えうる忍耐力を養わねばと反省させられた次第である。