税理士法人笠松・植松&パートナーズ

大切な現地ホワイトカラー人材の育成

14.12.14
ビジネス【人的資源】
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グローバルと一口に言いますが、言葉が違い、文化・風習・価値観・慣習・制度が違う地域に人が移動するのは大変なことです。
ましてや、工場のような生産拠点を作るのは大事業でありましょう。
子会社を海外につくるのに、今や、設備などのハードや、生産技術などの本国からのトランスファーは大方成功しています。

ところが日本の場合、工場運営などマネジメントの現地化はなかなかです。
つまり、現地人材の活用が進まないのです。
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企業成長のための人的資源熟考

その背景には、企業文化の違いがあるようです。
つまり、日本の人材育成は、長期雇用を前提として帰属意識を高め、幅広い能力養成をよしとします。
ところが、東南アジアなど海外では、職業プロ意識が強く、会社はその手段ということになっています。
ですから、グレーゾーンの多い仕事のやり方には不満を持ちます。
ビジネススクール出の管理職でもトップでも、ヨコの移動で企業を選びます。
日本人から言わせれば格差社会でしょうが、彼らから言わせれば、日本企業は給与が低くて働きにくいというのが不満です。

多くの多国籍企業は、現地人をトップにしています。
トップの人材は、現地人のほか、本国出身者や第三国出身者が候補になりますが、通常、現地人のトップが多いです。
日本は、韓国、中国、インド、東南アジアへの進出が割合遅く、そのため現地トップが育っていない、と弁解することもありますが、1970年代から進出しているシンガポールなどでも同様な事情です。
その理由の一つに、本社の理解不足がよく挙げられます。

有数のエレクトロニクス企業が20年くらい前、アメリカに5年間派遣した男性社員の例です。
彼は優秀で熱烈な模範社員であり、アメリカでは現地に溶け込むために大いに努力をしました。
不幸にも脳腫瘍を患いましたが手術に成功し、その後退職をして個人営業をしています。
日本に帰ってきていろいろなところに顔を出すと、あまりに日本人離れしたのに皆びっくりしました。

後輩でいながら対等にモノを言う、自分の意見をいつも堂々と開陳するなど、その場の空気が読めないことおびただしいのです。
さぞかし、アメリカで模範的ビジネスエリートとして振る舞っていたのでしょう。
今は幸か不幸か、日本的に戻りました。
また会社も、海外派遣は2年を限度とするようにしているそうです。


[プロフィール]
佐野 陽子(さの・ようこ)
慶應義塾大学名誉教授。1972年慶應義塾大学商学部教授。87年から2年間、日本労務学会代表理事。89年から2年間、慶應義塾大学商学部長・大学院商学研究科委員長。96年東京国際大学商学部教授。2001年から4年間、嘉悦大学学長・経営経済学部教授。主な著書:『はじめての人的資源マネジメント』『企業内労働市場』(ともに有斐閣)。

[記事提供]

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